二条城を独り占め!
- 2002.06.04
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東大手門を通り、

受付の右隣にコインロッカーがありました。
その前にトイレ…!
係員に聞くと、地下鉄3番出口近くに無料のトイレがありました。
多分、500mlは出たと思います。
めずらしく?尿漏れなし😆!でした。

6/18までは京都府民のみで閑散としてました。

二条城はいつもいっぱいなので、ラッキーチャンスです。
1030円を払っていざ城内へ。

鳥はどこに?

大きな乳金具(ちちかなぐ)!

東大手門を入ると直ぐに荷物預かり所がありました。
車イスの貸出もあります。

東大手門を入ると築地塀に突き当たりますが、左へ(右に行くと大休憩所ですが今は閉館中。展示されている刀が見たかったです)。

さらに進むと、

その見事な彫刻にしばし見とれました。


唐門を潜り見上げると、いらっしゃいました…3、4000年に1回浮かんでくる亀を人生の中で3~4回見たという伝説の黄安仙人(こうあんせんにん)さんが…。

それでは、二の丸御殿へ。
城内は撮影禁止なのでパンフレットで。

相手に応じ、見事に演出された障壁画の数々。
徳川家の権力を誇示するために、諸大名と対面する遠侍や式台(将軍への用件や献上品を取次ぐ場所)には永遠に続く繁栄を表す松や虎の障壁画が。
特に「大広間三の間」は、厚さ35cmの檜の欄間の彫刻、松の枝にクジャクの障壁画、飾り金具など圧倒される豪華さ!
1867(慶応3)年旧暦10月13日大政奉還が表明された部屋…。

大広間一の間には第15代将軍・徳川慶喜(1837~1913 /11月22日 大正2年 77歳)が、
同二の間には在京40余藩の重臣が参集しました。
一の間と二の間はほぼ同じ大きさです。
なお、大政奉還ののち徳川慶喜は西門から脱出したと伝わります。
大広間四の間「松鷹図」の迫力!
10回分?入城したくらいじっくりと見ることができました(城内の見学者は10人余)。
まして、将軍の居間と寝室であった白書院にも近寄れるなんて夢心地のようなひと時…でした。
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