東寺の近くの観光エリア 7( Near area of ​​Toji Temple)

ここは当時に近くにある観智院(かんいちん)です。ここは有料エリアです。

観智院の玄関

大元帥明王の北隣に観智院があります。
1359(延文4)年、室町時代に真言宗の僧・日の下に木の漢字→ごう宝(ごうぼう)によって創建され、
1596(文禄5)年、慶長伏見地震によって全壊しますが、
1605(慶長10)年、豊臣秀吉の正妻・北政所(?〜1624)の寄進により国宝の客殿が再建されました。


残念ながら室内は撮影禁止だったので以下は案内パンフレットより引用します。


国宝の客殿
国宝の客殿です。1605(慶長10)年に北政所の寄進により再建されました。

 
襖絵
左の床の間の絵は「鷲の図」です。
右の襖絵は「竹林の図」です。
江戸時代初期に剣豪・宮本武蔵(1584〜1645)が吉岡一門との「一乗寺下り松の決闘」ののち報復から逃れるため3年ほど観智院に身を隠したとされ、その時に書かれたとされます。


五大虚空蔵菩薩像
観智院といえばご本尊の虚空蔵菩薩さまです。
虚空蔵菩薩は智慧と福、徳を司る仏さまです。
唐の都・長安の青龍寺金堂の本尊でしたが847年に僧な恵運が持ち帰ったとされます。
左から迦楼羅(かるら)・孔雀・馬・象・獅子に乗っておられます。
鼻筋が通り、ウエストがしまったお姿でした。
補足…
迦楼羅はインド神話に登場する炎に包まれた聖なる鳥・ガルダが前身とされています。
ガルダは口から火を吹き毒蛇を食べます。
仏教では毒蛇族の奴隷となった母を救うために神と争い救い出したとされ、密教では人々を救うために梵天が姿を変えたものとされます。
不動明王像の背後にある炎のかたちをしている光背は迦楼羅の吐く炎を表しており、不浄なものを焼き清める炎とされてます。


書院 白富士の襖絵
床の間には浜田泰介

画伯(はまだたいすけ。1932〜。愛媛県宇和島市出身)の「春の朝」が描かれてました。その前で抹茶とお菓子(500円)を頂きました。
先客1名のみで、しばし、独占!


おみくじ
観智院内愛染明王前におみくじが置いてあり、袋につられてついつい買ってしまいました。(200円)


■観智院(Kanchi in Temple)

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