2019年。京都の祇園祭。宵々山。
まずは烏丸通の鈴鹿山から。
鈴鹿山のご神体は鈴鹿峠の悪鬼を退治した瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)です。身長176Cm。白装束の下に安産祈願の腹帯を着けられています。
黒主山のご神体 大伴黒主(おおとものくろぬし。生没年不詳)が大きく反って志賀の山桜を仰ぐ姿を再現しています。
木は本物の山桜(去年までは枝垂れ桜でした)、花は2ヶ月を要して1800輪の布製の造花がつけられました。
鯉山です。今年の後祭、山1番を引き当てました。1番を引くとちまきの売れ行きがいいとか。
鯉が竜門の滝を登りきり竜になるという中国の伝説からとった山です。
左甚五郎(1584〜1644。江戸時代初期の彫刻職人)作の鯉は立身出世を象徴してます。
八幡山の金の社です。
鳥居に木彫りの鳩が向かい合い夫婦円満を表しています。
小学生の女の子がおみくじを売っていたのでついつい手が…大吉でした。今はお大師さまの御守と一緒にカバンの中に入れてます。
疾病神を信じて全快すべし…とありました。確かに先日の血液検査でGOT、GPTの肝機能値が少し下がっていました。
後祭のしんがりは神功皇后が凱旋した時の船形の鉾です。幕末に焼失しましたが2014(平成26)年に150年ぶりに復帰しました。
京都市街では大火が4度ありました。
・応仁の乱→1467〜1478年
・天明の大火→天明8年1月30日。1788年3/7。出火場所の団栗をとってどんぐり焼けと言われ、京都市街の8割以上が灰に。
・蛤御門の変→元治元年7月19日。1864年8/20。幕末、長州藩が京都に出兵。会津や薩摩藩等と蛤御門付近で戦い、長州藩の大敗に終わる。
この大火はどんどん焼けと言われ市中は3日3晩燃え続け28000戸が焼失したと伝えられる。
・宝永の大火→宝永5年3月8日。1708年4/28。油小路三条上ルから出火。上京を中心に10000戸以上が焼失。
しんがりの大船鉾は応仁の乱、天明の大火、蛤御門の変で三度焼失。その都度、復帰してきました。
今年で1150年を迎えた祇園祭。7月に入ると何故か祇園祭の勉強がしたくなります。
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