泉仙から山科地蔵さんへ

山科地蔵さんは旧東海道沿いにある徳林庵に安置されています。JR山科駅から歩いて15分。徳林庵へは2回目の訪問です。

屋台がたくさん並んでいました。お寺界隈が賑わっていたのはここだけでした。



徳林庵は人康親王(さねやすしんのう)の末裔・南禅寺雲英正怡(うんえいしょうい)禅師が親王の菩提を弔うために1550年に開創されました(当時は現在地より北に位置)。



人康親王(831〜872 42歳)は第54代仁明天皇(810〜850 41歳)の第4皇子。859年、高熱により両眼を失明し、山科に隠棲。出家して法性と号しました。琵琶の名手とされ、盲人を集め、琵琶や管弦を教え「琵琶法師の祖神」と崇められました。

石碑には人康親王の横に蝉丸と刻まれています。

蝉丸は平安前期の歌人。生没年不詳。第59代宇多天皇の第8皇子・敦実親王(あつざねしんのう 893〜967。75歳)の雑色(ぞうしき。下級役人)とも云われますが詳細は不明です。琵琶の名器「無名」を愛用した盲目の琵琶法師で、逢坂の関(おうさかのせき)に庵を結んだとされます。

また、源博雅(みなもとのひろまさ 918〜980 63歳)は蝉丸のもとに3年通い、琵琶の秘曲を伝授されたと伝わります。

源博雅といえば、滝田洋二郎監督「陰陽師」では安倍晴明(921〜1005 85歳)のパートナーで伊藤英明さんが演じていました。

第60代醍醐天皇の孫で雅楽に優れ、酒豪だったようです。

さて、蝉丸が詠んだ

「これやこの 行くも帰るもわかれては

しるもしらぬも逢坂の関」

[訳]これがあの有名な、東国へ下って行く人も、都へ帰る人も、ここで別れてはここで会い、知っている人も知らない人も、またここで出会うという逢坂の関なのだなぁ〜。

は百人一首に選ばれています。耳に心地よいのです…が…なかなか覚えられません。



人康親王の供養塔近くに可愛らしい六体のお地蔵さんが。右端のお地蔵さんは前かけの下に琵琶を持っています。今回は見逃してしまいました。そして、「閻魔天」も…。若い頃の閻魔さまでお顔が優しく見えたら犯した罪が軽くすむんだとか。



さあ、残すところ、1ヶ寺です

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