紅葉前の東福寺界隈その2 道長のお不動さん。





臥雲橋をわたってしばらく歩くと、東福寺塔頭・同聚院(どうじゅいん)です。
1006(寛弘3)年、関白・藤原道長が40歳の祝賀で丈六(1丈は約3m)の五大明王を安置する五大堂を建立しますが、同聚院はその五大堂があった場所とされます。



本尊は不動明王さん(坐像)。高さは265Cmあり、「じゅうまん不動さん」で知られています。10時前に訪問するとお不動さんの前には、五色幕がかかってお顔が見えなかったのですが、昼にはお堂が開いており、200円払って堂内へ。
両眼を見開き、上の歯で下唇を噛み、あっさり顔のイケメン不動さまでした。
上半身は迫力あるのですが、足の部分は簡略化したお姿でなんともチグハグな印象?です。
平等院鳳凰堂の阿弥陀さまの製作者・定朝の父である康尚作と伝わります。
別名「十万不動明王」と呼ばれ、十万不動の由来は土地の守護を表すとも、十万の一族や従者を従える意とも伝わります。



同聚院の屋守護の符(やしゃごのふ)を門戸に貼ると火災を除き、福徳円満、子孫繁栄などの仏徳があるとされます。
院内にはアメリカの大財閥夫人となった、祇園の芸妓「モルガンお雪(本名 加藤ユキ 1881〜1963 83歳)」の墓があります。
来日したモルガンは恋人と別れたばかり、当時20歳の雪と出会います。雪には恋人がいましたが、モルガンとの騒動が新聞に載り破局。1904(明治37)年、現在のお金で8億円相当?で身請けされて、横浜で結婚。モルガンはお雪が34歳の時に心臓病で死去(享年44歳)。お雪はフランスで生活していましたが、第二次世界大戦前に家族の世話のために京都に帰ります。71歳でキリスト教の洗礼を受け、大徳寺門前の家に隠棲。83歳で急性肺炎により死去します。(合掌)

残念ながら、公開塔頭の霊雲院(九山八海の庭で有名)も芬陀院(通称 雪舟寺)もお休みでした。またの機会に…。

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