安倍晴明の子孫…土御門家



御前通八条にあるJR線の高架を北に向かい、稲住湯(銭湯)の狭い路地を西に行くと「稲住神社(いなずみじんじゃ)」があります。境内は狭く、薄暗い神社です。以下、立て札より。
祭神 安倍清明卿
由緒 このあたりは明治以前は池がある広場で農家が稲束を積んでいた為、稲
住の社名が生まれたと伝わる。この一帯は平安時代以後、陰陽道を以って朝廷に仕えた土御門家(安倍清明卿の子孫)の屋敷があった所で一町(109m)四方の邸内には北部が住居、南部が祭壇として、代々天皇の即位には聖寿の長久を祈る「天曹地府祭」を行った。
1684(貞享元)年、幕府の天文方 渋川春海(しぶかわはるみ/しゅんかい1639〜1715 77歳)は土御門泰福(つちみかどやすとみ 1655〜1717 63歳)と供にこの地に星台を建て…略…天体を観測しその正確さを証明した。
とありました。
渋川春海は日本最初の和暦=貞享暦(じょうきょうれき)を作った人物です。
※その前は中国の宣明暦(せんみょうれき)が800年以上も使われていました。
2012年に映画「天地明察」で主人公の渋川役を岡田准一さん、泰福役を笠原秀幸さんが演じています(テレビ再放映を待っています)。
安倍から土御門家に姓を変えたのは、1488(長享2)年に応仁の乱後の混乱が続く京都から若狭(福井県)へ下向した安倍有宣(1433〜1514 82歳)からとされています。室町時代初期に活躍した安倍清明の14代目・安倍有世(あべのありよ)のひ孫にあたります。
1601(慶長6)年、勅命により京都に戻り、土御門久脩(ひさなが 1560〜1625)は陰陽道宗家と認められて全国の陰陽師を支配下に置き、183石の家禄を与えられ、研究所も兼ねた大きな邸宅を梅小路に建てました。
稲住神社から再び御前通りに出ると斜め向かいに梅林寺があります。



お寺の前には「土御門〇〇菩提所梅林寺」(〇〇は判読できませんでした)の石碑が立っていました。

※梅林寺は非公開です。
2017年2月の京都新聞に「安倍清明の子孫の墓ピンチ…略…連絡取れず寺が供養」とありました。18世紀〜大正期まで一族20基余のお墓があるようですが、その後どうなったのでしょうか。
それにしても、この下京区のはずれが由緒ある所だったとは…。
京都の町はいたる所に掘り出し物がいっぱいです。

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