兄と弟…骨肉の争い。待賢門院
- 2019.10.11
- 右京区

この奥に藤原璋子(ふじわらのしょうし1101〜1145 45歳 待賢門院)のお墓があります。

このりっぱなお墓に彼女だけが眠っています。JR花園駅近く、法金剛院の北方向にあります。自転車で走っていて、偶然に見つけました。
璋子は幼少時より、白河法皇(第72代天皇 1053〜1129 77歳)とその寵妃・祇園女御(生没年、氏素性不祥)に養育されました。
※2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」で檀れいさんが演じていました。
1117(永久5)年、第74代鳥羽天皇(1103〜1156 54歳)の皇后となります(17歳。天皇は2歳年下の15歳?)。
鳥羽天皇との間に5男2女を出産しますが養父・白河院の死を機に鳥羽上皇は藤原得子(ふじわらのとくし 1117〜1160 44歳 美福門院)を寵愛します
おりしも、得子に対するいくつかの呪詛事件が発覚し、璋子が裏で操ってるのではないかとの噂も立ち、この頃から崇徳院が白河院の胤だとする風評も囁かれるようになりました。

1142年、法金剛院で落飾(高貴な人が髪をそり落として仏門に入ること)。
1145年、兄の三条高倉第で亡くなりますが、鳥羽院は駆けつけて大声で泣き叫んだと伝わります。
没後10年、美福門院が産んだ第76代近衛天皇(1139〜1155 17歳)が崩御すると朝廷は
璋子が産んだ崇徳上皇(1119〜1164 46歳)方と8歳年下の弟・第77代後白河天皇(1127〜1192 66歳)方とに分裂

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