揚屋…角屋さんが続きますように。



島原大門をくぐり、石畳の道をまっすぐに進むと突き当りに「長州藩志士 久坂玄瑞(くさかげんずい 1840〜1864 25歳)の密議の角屋」の石標があります。久坂玄瑞は吉田松陰の義弟で、松陰の死後は塾生を率いて尊攘(君主を尊び外敵を斥けようとする思想)に挺身。蛤御門の変で自害しました。

2015年、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」では東出昌大(1988〜。埼玉県出身)さんが久坂役を演じていました。



揚屋(現在の料亭)である「角屋」が現在の規模になったのは1787(天明8)年の増改築後です。

格子造りは京都の近世初期の町家の形を遺しています。

1989(平成元)年、財団法人角屋保存会が設立され、平成10年から「角屋もてなしの文化美術館」が開館しました。

但し、休館日が月曜日の他に

12/16〜3/14と7/19〜9/14になっています(2019年パンフレットより)。



閉まっているのかな?と諦めていたら



下がってすぐの所に入り口がありました。大人1000円とやや高めですが、神社でもなく寺でもなく、花街の貴重な建物や文化を伝えていくための維持費としては妥当な値段かもしれません(2階の特別公開の座敷は別途800円→豪華な6つの部屋。要予約。)



入り口そばにあった昔の「冷蔵庫」







天井が高く、広い空間の台所(50畳余り)です。





西郷隆盛が行水に使ったと伝えられる盥(たらい)です。西郷さんは大柄だったので窮屈だったのでは…。



箱階段です。



刀箪笥です。



大座敷「松の間」の庭にある臥龍松(クロマツ)です。

庭には3つの茶室があります。



大座敷「松の間(43畳)」です。1985(昭和60)年まで宴会が行われていました。

「揚屋」の特徴として、大座敷や広庭、茶席を設け、庫裏(寺院の僧侶が居住。台所も兼ねる)と同等の台所を備えています。

幕末は久坂玄瑞や西郷隆盛、坂本龍馬などの密議に使われました。



1863(文久3)年に新選組初代筆頭局長の芹沢鴨が角屋で遊宴の後、壬生の八木邸に帰宅後暗殺されますが、床の間近くに座ったであろうと説明がありました。



「網代の間」の網代(杉や竹などの細い薄板を互い違いにくぐらせて編んだもの)の天井です。部屋全体が暗く、窓際で撮りました。

角屋を訪れた司馬江漢(1747〜1818 江戸時代の絵師、蘭学者)の日記には「燭台数十、昼の如く照らす」とあります。

最後に、太夫と花魁の違いについて…。太夫は舞の他にお茶、お花、和歌といった教養を身につけていました。太夫の帯は「心」と結びます。

一方、花魁(おいらん)は芸を披露しません。帯は前にだらりと垂らして結びます。

以上、日本に唯一現存する揚屋建築「角屋もてなしの文化美術館」より。

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