お西さんでランチ
- 2019.10.23
- 下京区
西本願寺(堀川七条上ル)の南にある、国宝の唐門です。1618年に伏見城から移築されました。
2018年6月〜2022年3月(3年10ヶ月)まで修復中でした。
新選組が使っていた「太鼓楼」です。西本願寺境内の東北に位置します。新選組は「池田屋騒動」があった1864(元治元)年以降に隊士が増え、壬生の屯所では狭くなったこともあり、1865(慶応元)年に拠点を西本願寺に移しました。
当時の本願寺は幕府と対立する長州との深い縁がありました。新選組は境内で実弾射撃を行なったり、乱暴を繰り返して僧侶らを震撼させたと伝わります。
新選組の結成時からの隊士・島田魁(1828〜1900 73歳)は1886(明治19)年に西本願寺の夜間警備員となりましたが、1900年、勤務先で亡くなります(合掌)。
浄土真宗本願寺派の本山・龍谷山本願寺通称西本願寺です。創建は1591(天正19)年。豊臣秀吉より本願寺11世・顕如(1543〜1592)に寄進されました。
一方、真宗大谷派本山・真宗本廟(しんしゅうほんびょう 通称 東本願寺)は1602年、烏丸七条に徳川家康より11世顕如の長男・教如(1558〜1614 真宗大谷派第12代門主)へ寺領が寄進されました。
ここに浄土真宗が分立します。
※顕如の妻・如春尼(1544〜1598 左大臣・三条公頼三女)が准如(1577〜1631 浄土真宗本願寺派第12世宗主)に法主を継がせるように秀吉に訴え、准如が12世となりました。如春尼15歳の時の子が教如、33歳の時の子が准如です。
左側が御影堂(ごえいどう)、右側が国宝の阿弥陀堂です。大きすぎて全景が撮れませんでした。
御影堂前の樹齢400年の大銀杏(おおいちょう)です。天に広げた形から「逆さ銀杏」とも。1788(天明8)年の大火ではこの銀杏から水が噴き出して消し止めた伝説があります。
親鸞聖人(1173〜1263 91歳)像が安置されている「御影堂」です。本堂の阿弥陀堂より大きく造られており、東向きです。
縁側の埋め木です。あちらこちらにありました。
「御影堂」外陣です。441畳。1200人収容可能です。
ここだけでも圧倒されます。たまたま、国宝の白書院や黒書院、北能舞台、飛雲閣(金閣、銀閣と京都三閣のひとつ)を見学した事がありましたが見事な欄間や襖絵の数々に圧倒されました。京都でも有数の文化財を有していますが非公開なのが残念です。ただ、拝観できるチャンスもあるようですが…。
「御影堂」から「阿弥陀堂」に至る廊下です。
「阿弥陀堂」の内陣も2022年3月まで修復中でした。外陣は800人収容。285畳あります。
阿弥陀堂北側にある浄土真宗本願寺派伝道本部1階にある喫茶「紫雲」です。
営業時間 8:00〜4:30
10:50分でしたが寺内で食べる焼き肉(税込820円)…。やや甘めでしたがほどよい硬さの牛肉でした。もちろん完食!
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