天使突抜町1丁目
- 2019.10.25
- 下京区
堀川五条交差点、五条通を東山に向かい西洞院通を上り、しばらく歩くと左側に「五条天神」の鳥居が見えて来ました。市バス「西洞院松原」停からすぐ。
社伝によれば、794(延暦13)年、桓武天皇の平安遷都にあたり、大和国(奈良県)宇陀郡から勧請されました。当初は「天使の宮」(天使社)と称しましたが後鳥羽天皇の時代に「五条天神宮」と改めました。
ご祭神は大己貴命(おおなむちのみこと 大国主命の別名)
少彦名命(すくなひこなのみこと 大国主命と協力して天下を治めた)
天照大神
です。
創建の頃は社殿も社域も広壮でしたが、中世以降に度々火災にあい、1864(元治元)年の蛤御門の変で社殿は焼失します。医薬や禁厭(きんえん まじない)の神として広く崇敬されています。また、節分に厄除け祈願のために多くの参詣者を集めています。
平安京では松原通りは五条大路にあたり西洞院通に川が流れていました。牛若丸と弁慶の出会いは「五条天神」の境内であったと伝わります。
いつも話題になる天使突抜町(てんしつきぬけちょう)です。西洞院通の一筋西の南北の通りです(東中筋通)。
豊臣秀吉は1586(天正14)年、京都の都市改造に着手。上京↔下京間に新たな南北の通りをいくつか造りましたが「天使社」の敷地をぶち抜いて道にしたことで「天使突抜」と呼ぶようになりました。
西洞院高辻交差点上ルすぐにある「菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)」です。菅原道真公(845〜903)の邸宅・紅、白梅殿や学問所がありました。また、道真公誕生の地(諸説あり)と伝えられ、境内には産湯の井戸が保存されています。仏光寺通を中心に広大な邸でした。
「東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」と詠んだ地と伝わります。
鎌倉時代には南北両社に分かれ、応仁の乱後の1614(慶長19)年に再興されました。
堀川通を歩いているとコンビニの横に意味不明なオブジェが…。
堀川通を一筋東(2筋目?)の通りに西洋建築が。
真宗信徒生命保険株式会社の社屋として設立されました。
伊東忠太(1867〜1954)が設計。竹中工務店により施工されました。伊東忠太は東京の築地本願寺や湯島聖堂、東山の祇園閣の設計者として知られています。
現在、本願寺伝道院として、僧侶の布教、研修の道場として使用されているようです
堀川七条上ルとすぐに「亀屋陸奥(かめやむつ)」があります。
看板に「本派本山 松風調進所」とあります。本願寺に松風を調達していたとの意でしょうか。
創業は室町時代。
銘菓「松風(まつかぜ)」です。松風は織田信長と石山本願寺(現在の大阪城の地)の合戦のさなか、3代目・大塚治右衛門春近が兵糧の代わりに創製したと伝わります。白味噌入りの素朴な味です。司馬遼太郎氏(1923〜1996 74歳 大阪市出身)の作品にも登場します。
徳用750円の松風を買いました。是非、お勧めしたい一品です。
-
前の記事
お西さんでランチ 2019.10.23
-
次の記事
壬生寺への道中あれこれ。 2019.10.27