建勲神社で藤四郎さんと出会って
- 2019.11.08
- 北区
市バス「建勲神社前」または「船岡山」バス停下車。今回は北参道から入りました。
建勲神社(正式名 たけいさおじんじゃ)は「けんくんさん」の名で親しまれています。
1869(明治2)年、第122代明治天皇(1852〜1912 61歳)が織田信長(1534〜1582 49歳)の威徳を偲んで創建され、1910(明治43)年、現在地に遷座。
本能寺の変で自刃した信長の子息・織田信忠(1557〜1582 26歳)も祀られています。
ご利益は国家安泰、難局突破、大願成就などなどです。
訪れた日は比較的参拝者が多く、不思議に思ってました…が。
偶然に「薬研藤四郎」再現刀(平成30年 藤安将平刀匠作)を目にすることができました。調べると本能寺の変で焼失した幻の短刀(刃長 8寸3分 粟田口吉光通称藤四郎)とありました。
並んでいませんでしたので、ゆっくりと拝見。
「う〜ん、刀剣は難しい。」の一言につきますが張りつめた空気が漂っていました。
境内には信長が好んで演じたと伝わる幸若舞(こうわかまい)・「敦盛」の一節の石碑が建っていました。
※幸若舞は室町時代に流行した語りを伴なう舞の一種。福岡県みやま市瀬高町大江に伝わる民俗芸能。
「敦盛」は源平合戦・一の谷の戦いで熊谷直実(くまがいなおざね 法名は蓮生 1141〜1207 67歳)に頸を討ち取られる平清盛の甥・平敦盛(享年17歳)のことです。熊谷直実はその後、法然の弟子となり出家します。
「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべきか」
【訳】人の世の50年の歳月は下天の1日しかあたらない、夢や幻のようなものだ。ひとたび生まれて滅びぬものなどあるはずはない
1560年の桶狭間(尾張)の戦いで大軍を率いた今川義元(1519〜1560 42歳)は敗北し、勝利した織田軍は急激に成長していきます。信長はこの戦いに臨んで「敦盛」を舞ったと伝わります。
-
前の記事
子連れでお出かけ、そして京都最新情報…MBSテレビより。 2019.11.06
-
次の記事
秋の「サカイ」の冷麺…船岡山。シメは五辻の昆布茶 2019.11.09