京都御所周辺…閑院宮邸
- 2019.12.15
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市バス「烏丸丸太町」下車。トイレに行きたくなったので京都御苑の間之町口から入り、左手に行くと「閑院宮邸跡(かんいんのみやあと)」があり、ここでしばし、トイレ休憩…です。(無料で拝観できます。)
邸内には京都御苑の遺跡や出土品等を展示しています。
閑院宮家は江戸時代に代々親王宣下を受けることで親王の身分を保持し続けた4親王家のひとつです。
他に桂宮、有栖川宮、伏見宮があり、男子が天皇の直系に不在の際に皇位継承資格者を出しました。
閑院宮家が東京に移る明治10年までは邸宅として使用。のち、華族会館や裁判所等を経て2003(平成15年)から3年かけて改修されました。
第118代後桃園天皇(1758〜1779 22歳)が欣子内親王(よしこないしんのう 1779〜1846)ただ1人を遺して崩御。
先帝の後桜町上皇(1740〜1813 女帝)は伏見宮家より養子を迎えようとしますが、結局、関白・九条尚実(なおざね 1717〜1787)の推す9歳の光格天皇(1771〜1840 8歳差)に決まったとされます。
光格天皇と欣子内親王は結婚され、温仁(ますひと)親王が産まれますがすぐに親王は亡くなられます。
そういえば、今年の京都検定1級の問題で
「光格天皇は父の閑院宮典仁(すけひと 1733〜1794)親王への追号を幕府に望んだがかなわず、のちに明治天皇によって実現した。その天皇名は何か。」
答えは慶光天皇(きょうこうてんのう)です。墓所は節分祭で有名な廬山寺にあります(前に訪れているのですが…すっかり忘れていました)。
なお、光格天皇は閑院宮典仁親王の第六皇子ですが未婚であった事で選定されたともいわれています。
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