京都御所周辺…京都御苑

「京都御苑」は京都御所などを囲む東西700m、南北1300mの長方形をした国民公園です。



京都御苑は環境省。

京都御所は宮内庁。

京都迎賓館は内閣府。

の管轄です。



「猿ケ辻(地図の10)」は京都御所の東北角にあり、その築地塀は内側にへこんでおり、軒下には日吉山王神社の神の使いである木彫りの猿を祀っています。

この猿が夜な夜な抜け出しては通行人にいたずらするために金網で封じ込めたと伝わります。

1863(文久3)年、攘夷派急先鋒のひとり、公家の姉小路公知(あねがこうじきんとも 1840〜1863 右近衛権少将)はこのあたりで暗殺されました(犯人は不明)。



猿が辻の近くにある「中山邸跡(地図の11)」です。第121代孝明天皇(1831〜1867)の典侍・中山慶子(なかやまよしこ 1836〜1907)の実家である公家の中山家があった所で、ここで明治天皇(1852〜1912)は生誕から5歳まで過ごされました。

※中山家は産屋建築の費用を借金して建てたと云われています。

慶子は1870(明治3)年の遷都に伴い東京に移住。のち、大正天皇(慶子の孫)の養育掛を数年にわたって務めます。

1907(明治40)年、東京青山の自邸で死去。



京都御苑には隠れた紅葉の名所がいっぱい!そして、何よりも無料です。



京都御苑の北中央よりにある「桂宮邸跡」です。非公開です。

桂宮家は閑院宮、伏見宮、有栖川宮とともに「四親王家」のひとつです。

始祖は第106代正親町天皇(おうぎまちてんのう 1517〜1593)の孫である八条宮智仁親王(はちじょうのみやともひとしんのう 1579〜1629)です。

智仁親王は1586(天正14)年に豊臣秀吉の猶子となり、将来の関白が約束されていましたが、1589(天正17)年に秀吉に実子・鶴松(つるまつ 1589〜1591 母は淀殿)が、生まれたために解約となり、秀吉の奏請によって八条宮家が創設されました。

また、智仁親王は造庭の才に優れ、家領の下桂村に別荘を造営、その別荘が現在の桂離宮です。

しかし、桂宮家は1881(明治14)年に第11(または12)代当主・淑子内親王(すみこないしんのう 1829〜1881 仁孝天皇第3皇女)の逝去により断絶します。

なお、名称は八条宮→常磐井宮→京極宮→桂宮と変遷。



京都御苑と今出川通をはさんで「冷泉家」があります。完全な姿で現存する唯一の公家屋敷です。

明治時代、ほとんどの公家は東京に移住しましたが冷泉家は御文庫と呼ばれる貴重な蔵を有し、京都御苑外に立地していたために取り壊しを免れたとされます。

冷泉家は藤原定家(1162〜1241)の孫・冷泉為相(れいぜいためすけ 1263〜1328)に始まります。為相は鎌倉に移住し、同地で死去しました。

※冷泉家では平成の大修理で10億円要したと言われます。

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