竹の径…そして、大河内山荘へ。
- 2019.12.31
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12/13〜22日まで開催されている「嵐山花灯路(あらしやまはなとうろ)」のいけばなが置かれていました。
嵐山花灯路は「思わず歩きたくなる路」をテーマに、嵯峨・嵐山周辺に生花と2500基の行灯を灯して夜の散策を楽しむために2005(平成17)年から始まりました。
※嵐山花灯路に先行して、「東山花灯路」は2003年3月より開催されています。
2020年の東山花灯路は3/6〜15日まで開催予定です。
嵐山に来る度に入山料金が1000円(抹茶つき)と高かったのでいつもスルーしていました。
今回はブログを書いている事もあり、思いきって入ってみました。
「大河内山荘」です。
まずは、紅や翠色系、青色といった色とりどりの色の敷石にびっくり(高価な石では?)です。
亀山の広大な庭園…正面にかすかに見える比叡山(標高848m)の薄い青色のぼんやりとした姿に見惚れました。
「持仏堂」です…山荘のすべては此処から始まりました。との説明書き。
1931(昭和6 34歳)、すでに大スターだった大河内傳次郎(おおこうちでんじろう 1898〜1962 福岡出身)は念願であった持仏堂を建てます。
ここで念仏(仏の姿を思い描いたり、名を口に出して呼ぶこと)し、瞑想(静かに思いめぐらすこと)し、静寂を得たことで、庭創りに芸術性を見出し、死去(1962 64歳)するまで創作に明け暮れ、山荘造営に大半のギャラを費やしたと云われます。
傳次郎は大きな目玉から「目玉のデンジロー」とあだ名され、当り役の「丹下左膳」で一世を風靡(ふうび)します。
傳次郎は1898(明治31)年、福岡の代々続く医者の家で9人兄弟の8番目に生まれます。
父の死とともにいくつかの仕事を経て、俳優を勧められ大スターとなります。
極度の近視で、相手に肉薄して刀を振るので迫力ある乱闘シーンが生まれたといわれます。
長女は、今日の嵯峨野めぐりで1番印象に残ったようです。
枯れた植木もチラホラありましたが、これだけの広さを維持する労力を思えば枯れ木のひとつやふたつ…と思った次第です。
遊び心?
受付近くに抹茶席がありました。
ここでも鶴屋吉信の柚子最中を頂きました(確か、城南宮でも鶴屋吉信さんの和菓子だったような)。
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