今熊野観音寺へ。



「今日は大安、東福寺めざし出発!」したものの、何故か今熊野観音寺に行きたくなり東福寺の次の停留所「泉涌寺道」で下車。

8時前、小中学生が長い坂を上がって登校してました(つらいだろうなぁ~この坂)。



「泉山東小中学校」とありました。

珍しい小中一貫校です。



しばらく歩くと左手に折れます。泉涌寺の塔頭「今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)」です。



朱色の「鳥居橋」を渡ります。この日はうっすらとモヤがかかっていました。それに、木の香り?が漂っていて空気をいっぱい吸いました。



「子護大師」さまが出迎えてくれました。「南無大師遍照金剛(なむたいしへんじょうこんごう)と唱えながら四国八十八箇所のお砂を踏んでお大師様を廻って下さい」とありましたので、孫たちの無事を祈りながら廻りました。



ご本堂です。

本堂手前にお大師さまが錫杖で掘ったとされる湧き水「五智水」があったのですが悲しいかな気がつきませんでした。



本堂内の見事な彫刻にうっとり。

今熊野観音寺は

創建 825年頃に弘法大師が老翁(熊野権現の仮の姿)から観音霊地のお告げを受け、第52代嵯峨天皇(786〜842)の勅願により観音像を刻んで草堂に安置したのが始まりとされています。

ご本尊 十一面観世音菩薩(秘仏)

本堂(1712 建立)は弘法大師が熊野権現と出会った神聖な場所とされています。

1160(永暦元)年、後白河上皇(1127〜1192)が熊野権現を勧請(かんじょう 神仏の分霊をほかの地に移して祀ること)し今熊野神社を創建した際に、「今熊野観音寺」となりました。

応仁の乱以前は泉涌寺をしのぐほどの大寺だったと伝わります。



後白河法皇は頭痛に悩まされていましたが、今熊野観音寺の観音様に治してもらって以来、民間にも拡がり、「頭痛封じの観音さま」として、今も崇拝されています。



枕宝布(カバー)が売られていました。

今熊野観音寺の観音さまは人の前に姿を現す時には常に枕元に立つため、かつて参拝者は自分のマクラを持ってきて加持祈祷を受けました。



大師堂前には「ぼけ封じ観音」さまが安置されています。

観音さまにとりすがっているのは、老父、老婆のようです。





「身代わり石仏」は、ぼけ封じの願いをこめて祈祷をうけ奉納されています。

「五智水」や「医聖堂の石碑」「今熊野西国霊場」等いっぱい見逃してしまったので次回、紅葉の季節に訪れたいと思います。

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