来迎院その2…大石内蔵助ゆかりの茶室

寺内を拝観した後に山門に戻り、今度は左手へ。

拝観料300円払い、含翠庭園(がんすいていえん)および客殿へ。



風流な入口。

開け方にとまどいました。



この庭の印象は?



灯篭に八体の仏さまが掘られていました。



ただ、苔の美しさにしばし足を止めました。

熊笹が多い庭園です。



寺内に独鈷水が湧き出ているのを知り、大石内蔵助(1659〜1703 播磨国赤穂藩筆頭家老)によって建立された茶室「含翠軒(がんすいけん)」です。

内蔵助は浪人になった時、泉涌寺長老・来迎院住職であった外戚の卓巖韶興宗師を頼り寺請証文を受け、山科に住みました。

この茶室で吉良仇討ちの策を同士と練ったとされます。

※赤穂事件…1703(元禄15)年12月14日(旧暦)に赤穂浪士47名が旧主・浅野長矩(あさのながのり 1667〜1701)の仇である本所(現在の東京都墨田区南部)吉良義央(きらよしひさ 1641〜1703)邸に討ち入りをした事件。

討ち入り後、幕府の命で46名切腹(1名は不明)。

時は第五代徳川綱吉の時代でした。

この茶室は1925(大正14)年に再建されました。



扁額「含翠」は大石内蔵助が書いたものとか。



なかなか落ち着いた茶室でした。



庭園東にある「心」の字をかたどった「心字池」です。



含翠軒から客殿へ。



再び、含翠庭から客殿へ。



客殿の床の間です。



襖には和歌が書かれた和紙が貼られていました。



網代の天井に床の間の安定感、壁の色合いと居心地がよかったです。

※網代天井…木や竹などを加工した材料を縦横交互に編んだもの。茶室などに用いる。



庭を眺めながらしばし一服。

「生きていてよかった」と思えた瞬間でした。

【追伸】

抹茶と大石家の家紋「右二ツ巴」が描かれた干菓子が400円!なかなかの味でした。



最後に本堂へ。



本尊 阿弥陀如来(伝・運慶作)

また、大願成就を祈願してた内蔵助の念持仏・勝軍(しょうぐん)地蔵大菩薩も安置。

「来迎院」は806(大同元)年、弘法大師が唐の国から持ち帰った三宝荒神をこの地に安置したのが始まりと伝わります。(写真左は内蔵助の念持仏・勝軍地蔵大菩薩)



応仁の乱で焼失しますが、織田信長や前田利家、徳川家からも支援を受け再興しますが、廃仏毀釈で再び荒廃。

荒神堂しか残りませんでしたが、大正時代に玄暁和尚が粉骨し、檀家を得て再建されました(一部由緒書きより引用)。

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