吉田神社…その2

「吉田神社」は、859(貞観元)年、中納言・藤原山蔭(ふじわらやまかげ 824〜888)が一門の氏神として、奈良の春日大社の四神を勧請した事に始まります。本宮を通り過ぎ、登って行くと左手に、「菓祖神社(かそじんじゃ)」があります。「豆茶」の接待を期待したのですが、境内は無人でした。参道には有名な菓子店の名前がたくさんありました。【ご祭神】田道間守命(たじまもりのみこと)林浄因命→南北朝期に帰化。日本で初めて饅頭を作ったとされます。※田道間守命…新羅からの伝承の渡来人・アメノヒボコの玄孫。第11代垂仁天皇の命で「非時香菓(ときじくのかぐのみ=橘」を求めに常世の国に派遣され、橘の実を持って帰ってきたが、天皇はすでに崩御。嘆き悲しみ天皇の陵で自殺したと伝わります。菓祖神社は1957年に京都菓子業界の菓祖神社創建奉賛会により建てられました。「山蔭神社」です。山蔭神社の鳥居近くからの風景…右手には京都大学の建物がいくつか見えます。藤原山蔭(824〜888 藤原房前の五男)は四条流包丁道の創始者として、飲食店関係者から崇拝されています。1484(文明16)年に創建された「大元宮(だいげんぐう)」です。吉田兼倶(よしだかねとも 1435〜1511)が創設した「吉田神道」の拠点となり、虚無大元尊神(そらなきおおもとみことかみ→森羅万象を司る神)を中心に天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)が祀られており、全国の神様のご加護が授かります。一時は伊勢神宮より格が上と隆盛を見ました。

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