後堀河天皇陵にて。

泉涌寺参道途中の道を左に折れ、しばらく歩きます。



10分ほど歩いて



再び石碑がありました。



後堀河天皇(ごほりかわてんのう)陵です。

第86代後堀河天皇(1212〜1234 23歳)は仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう 1218~1234 17歳)が北条義時により皇位を廃されたのちに即位しました。

※仲恭天皇の父は承久の乱で佐渡へ配流となった第84代順徳天皇。仲恭天皇の在位期間は78日と歴代天皇の中で最短です

後堀河天皇の父は第82代後鳥羽天皇(1180〜1239)の兄・守貞親王(1179〜1223)です。

父・守貞親王の乳母は平知盛の正室でした。守貞親王は平家のもとで育ち、1183年の平家都落ちの際に安徳天皇の皇太子に擬されて西国へ。救出されて帰京します。1189年に親王宣下(1212年出家)。

守貞親王第3皇子の後堀河天皇は元来病弱でした。



後堀河天皇は1232(貞永元)年、院政を行うべく2歳の四条天皇(1231〜1242 12歳)に譲位し、太上天皇となりますが2年足らずで崩御。中宮・九条竴子(くじょうしゅんし 1209~1233 25歳)の死から間もなくであり、後鳥羽上皇(1180〜1239 60歳)の生霊のなせる怪異と噂されました。

後堀河天皇は2皇子4皇女に恵まれますが、2皇子のうち成長したのは四条天皇のみです

しかし、四条天皇も不慮の事故で崩御されます(家臣や女房たちを転ばせて楽しもうと廊下に滑り石を置いた所、誤って転倒し亡くなられる)。

さて、参道に戻り、さらに坂を登って行きます。

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