即成院その2…極楽浄土へと。
- 2020.02.16
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泉涌寺の塔頭「即成院」は992(正暦3)年に天台宗の僧・恵心僧都(えしんそうず 942〜1017)が伏見に建立した「光明院」が始まりです。その後、藤原頼通(宇治平等院を建立)の次男・橘俊綱(たちばなのとしつな 1028~1094 母は藤原祇子)が1087年に伏見桃山に広大な山荘を造り、光明院を阿弥陀堂として移設、明治時代に現在地へ移ります。余談ですが、藤原祇子(ふじわらのぎし/まさこ ?~1053)所生の男子は正室・隆姫女王(村上天皇の孫)への配慮で全員養子に出されていました。しかし、俊綱の同母弟で頼通の六男・藤原師実(ふじわらのもろざね 1042~1101)の誕生からまもなく、嫡男とされた藤原道房(1025〜1044 母は源憲定の娘)が20歳で急死した為に師実が摂関家の後継者となりました。
今回はご本尊の阿弥陀さまと25菩薩さま(1094年に定朝とその弟子の作?)に間近で手を合わせる事ができました(要拝観料)。
ここでもばあばは…たくさんの仏さまを独り占め!またまた、涙が出そうになりました。
「獅子吼菩薩(ししくぼさつ)」は獅子が吼えるように悟りについて説法する菩薩さまですが、「ほほ笑みの菩薩」として人気があります(向かって右側、少し口を開いています)。
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