真如堂その1…女性を救う阿弥陀さま

市バス「錦林車庫前」で下車。西へ10分程歩くと「真如堂(しんにょどう)」があります(正しくは真正極楽寺)。



984(永観2)年に比叡山の僧・戒算上人(かいさんしょうにん)により比叡山常行堂の阿弥陀如来を藤原詮子(ふじわらのせんし/あきこ 962~1002 円融天皇皇后・一条天皇母・藤原道長の姉)の離宮に安置したのが始まりです。



本堂は京都市内の天台宗寺院の中で最大の規模です。



本堂に向かう左手に松尾芭蕉の弟子・向井去来(むかいきょらい 1651〜1704)の句碑がありました。

「涼しさの 野山に満つる 念仏かな」

1694(元禄7)年に真如堂で行われた信濃・善光寺の出張ご開帳法要に参列した時の様子を詠じた句です。善光寺の本堂再建の資金集めにはるばる長野から阿弥陀さまがやってきてくれたんですね。



真如堂のご本尊の阿弥陀さまは立ち姿では現存最古だとされ、善光寺の阿弥陀さま、嵯峨清凉寺のお釈迦さまとともに「日本三如来」とされます。

また、阿弥陀さまは円仁が一刀三礼し彫刻したもので、「比叡山の修行者の本尊となりたまえ!」と言って完成直前に白毫(びゃくごう→仏さまの眉間のやや上に生えている白い長い毛。右巻きに丸まり伸ばすと⒋5mあるとされ、光を放ち世界を照らすとされる)を入れようとすると阿弥陀さまは首を三度横に振って拒否されました。

数日後、「京の都に下って、一切衆生(いっさいしゅじょう→この世に生きているすべてのもの)をお救い下さい。中でも女性を救いたまえ」と言うと阿弥陀さまは三度頷かれたので、「うなずきの弥陀」として女性の信仰が厚い阿弥陀さまです。

年老いてから下の世話をかけずに往生できるように、毎年11月のお十夜(おじゅうや)では「タレコ止め」のお粥が授与されます。

※お十夜…「十日十夜別事念仏会」の法要といい、「無量寿経」によればこの世で十日十夜善いことをすれば仏国土で千年善いことをするに勝るという教え。

真如堂ではお十夜の結願の日(11/15)にご本尊が公開されます。

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