堀川通七不思議その3…百々橋の礎石

水火天満宮(すいかてんまんぐう)からさらに下がって寺之内通を左へ入り、しばらく歩くと以前、紹介した「百々橋(どどばし)の礎石」があります。1467(応仁1)年から始まった応仁・文明の乱の際には、細川勝元(1430〜1473)率いる東軍と、山名宗全(1404〜1473)率いる西軍が、一条戻り橋からこの橋にかけて戦ったと云われます。左隣は尼門跡寺院「宝鏡寺」です。1965(昭和40)年、百々橋が架けられていた小川が埋め立てられ橋も解体。橋脚を支える4基の礎石のうちの1基が遺されています(他の橋脚は室町小学校と洛西ニュータウン竹林公園内にあります)。

こちらもよろしくお願いします↓

にほんブログ村 旅行ブログ 京都旅行へ
にほんブログ村

京都ばあばイチ押し!京都観光のガイドブック