堀川通の七不思議その1…紫式部の墓
- 2020.03.02
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市バス「北大路堀川」下車。
堀川通西側を南へ100m歩くと右手に、「紫式部墓所」の石碑が見えてきました。

南隣は島津製作所です。

手入れの行き届いた道を進み、右手に折れると、

手前には平安前期の官僚で歌人の「小野篁(おののたかむら 802~853)」のお墓が、
左奥には「紫式部(生没年不詳)」のお墓がありました。
紫式部は親子ほど年が離れた藤原宣孝と結婚して一女(藤原賢子)を産みますが3年程して夫と死別。
その後、源氏物語を書き始めます。
やがて、源氏物語の評判を聞いた藤原道長に召し抱えられ、道長の長女で第66代一 条天皇の中宮・彰子(988〜1074 87歳)の女房兼家庭教師となります。
しかし、彰子出生の第67代後一条天皇(1008〜1036 29歳)即位頃から紫式部の消息は不明となり、代わって娘・賢子が宮中に出仕します。
※篁は紫式部よりも170年ほど前に生存
紫式部が執筆した「源氏物語」によって多くの人が惑わされ、式部は地獄に落ちたと言われました。
そこで、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔大王の補佐をしていた篁に取り次いで地獄から救ってもらおうと、源氏物語を愛読していた人たちが、横に篁の墓を建てたと伝わります。
この場所は紫式部が晩年住んでいたとされる雲林院の末寺・白毫院の南とされます。
室町時代の源氏物語注釈書(四辻善成1326~1402)「河海抄(かかいしょう)」によれば、
“式部墓所在雲林院白毫院南小野篁墓の西なり”
という記述が残っています。
以上、堀川通の七不思議その1です。
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