堀川通の七不思議その9…梅ヶ枝の手水鉢(うめがえのちょうずばち)

堀川七条をウロウロしても見当たらず、近くを掃除していた年輩の方に聞きました。

堀川通に面して東側の宅配便のビルの前に、



それらしき石が、



ありました。

しかし、マップで検索すると、堀川七条の西側との表示が。

この日は探すのを残念!



後日、改めて、堀川七条交差点の西側の斜めの歩道を安寧小学校に向かって歩いていると、



なにやら怪しげな石がありました。



源氏の武将・梶原景季(かげすえ 1162~1200)が源平合戦・宇治川の先陣争いで、佐々木高綱(1160〜1214)に遅れを取り、頼朝から不興を買い(不機嫌にさせる)、世を忍ぶ生活を送ります。

生活に窮した景季は頼朝からもらった鎧を質に入れました。

妻の千鳥は「梅ヶ枝」の名で遊郭で働いていました。

それから暫くして、一ノ谷合戦で景季は出陣を望みますが、鎧は質に入ったままです。

困り果てている時、梅ヶ枝が手水鉢にお金の工面を祈り、必死で叩いていると、小判が空からバラバラと降ってきて、このお金で鎧を取り戻し、出陣できました(このお金は景季の母・延寿からの情けのお金)。

以上は梅ヶ枝手水鉢にまつわる、歌舞伎の「ひらがな盛衰記」のあらすじです。

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