武信稲荷神社…龍馬ゆかりの地

三条通大宮西二筋目下ルと、



「武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)」があります。

859(貞観元)年に藤原良相(ふじわらのよしみ 813〜867 藤原冬嗣の五男)により創建。

【 ご祭神】宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)→穀物の神

佐田彦大神(さだひこのおおかみ)→猿田彦神の別名。天照大神の孫・ニニギノミコトが天孫降臨の際に道案内した国津神

大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)→日本各地の稲荷神社で宇迦之御魂大神と一緒に祀られる



この地には西三条大臣・藤原良相の屋敷と学問所がありました。

武士になるためにお椀を漕いで京にやって来た一寸法師の奉公先が三条の大臣こと藤原良相であったとされます。
境内には、チェンソーアート世界チャンピオン・城所ケイジ氏の作品の龍が、本殿前に置かれていました。2013(平成25)年にご神木の榎から一部空洞化した枝が落下。その枝から作られました。ご神木の榎ですが850年以上前に平重盛(たいらのしげもり 1138〜1179 平清盛長男 )が安芸の厳島神社から移植したと伝わります。坂本龍馬がおりょうに自分の無事を知らせるためにこの榎に「龍」という字を残したという逸話が残っています。可愛らしい本殿でした。一寸法師は退治した鬼が持っていた打ち出の小槌を振るとどんどん背が伸びて立派な男性になり、お姫さまとめでたく結婚しました。見ているだけで明るくなる?絵馬です。武信稲荷神社では赤ちゃんの命名も!龍馬が暗殺された後、おりょうさんは各地を転々とし、大道商人・西村松兵衛と再婚しますが、晩年は貧窮の内に没しました(お墓は神奈川県横須賀市の信楽寺)。

おりょうさんは生前、勝海舟や西郷隆盛(隆盛は20円援助)に親切にしてもらったと話していたと伝わります。

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