神泉苑にて。
- 2020.03.29
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「神泉苑(しんせんえん)」があります。第50代桓武天皇(737〜806)が平安京を造営する際に宮中の附属庭園として造られ、常に清泉が湧き出すことから「神泉苑」と名付けられました。
812(弘仁3)年に第52代嵯峨天皇(786〜842)が日本で初めて桜の花見の詩宴を催しました。

「法成橋(ほうじょうばし)」です。
心に1つの願いを念じながら渡り、その想いを橋の向こうに鎮座する「善女龍王」さまにお願いすると叶うと云われています。

創建当初は今の10倍の敷地を有していましたが、中世移行は荒廃。
1603(慶長8)年に家康が二条城を造営した際、敷地の大部分が城内に取り込まれてしまいました。

824(天長元)年、日本中が干ばつで苦しんでいた時に天皇の勅命で東寺の空海(774〜835)と西寺の守敏(しゅんびん 生没年不詳)が神泉苑で祈雨の法を競うことになりました。
守敏は少しの雨しか降らすことができず、空海の番になると守敏は呪力で雨乞いの神・龍神を水瓶に閉じ込めてしまいます。

龍神のうち唯一「善女龍王」が守敏につかまっていないことを見破った空海は、天竺(北インド)の無熱池から善女龍王を勧請すると、龍王は金色の龍となって天に昇り、3日間、国中に大雨を降らすことができました。
また、869(貞観11)年、疫病退散のために神泉苑の南端(現在の八坂神社三条御供社)に当時の国の数・66本の鉾を立てて祇園社(八坂神社)から神輿を出したのが祇園祭の発祥とされています。

「恵方社」です。
幸せになれる歳徳神がおられる方向に向かって手を合わせます。

今年は西南西です。

毎年、大晦日の晩に翌年の恵方に祠の向きを変えています。

白河上皇(1053〜1129)の命で雨を降らせるようにとたくさんの僧や白拍子が挑みますが叶わなかったところ、静御前が舞うと雨が降ったと伝わります。
法成橋で舞う静御前…源義経との出会いです。
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