鳥羽離宮跡そして白河天皇陵へ。
- 2020.04.14
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「鳥羽離宮跡公園」です。
鳥羽離宮は第72代白河天皇(1053〜1129 77歳)が創建した譲位後の御所です。
鳥羽離宮跡公園内にある「秋の山」です。
秋の山は、白河上皇が造営した「南殿」の築山跡と伝わります。
南殿、北殿、泉殿、馬場殿が相次いで完成。
鳥羽上皇の時代には東殿や田中殿が造営されました。
朱雀大路から南下した上鳥羽や竹田そして下鳥羽一帯(東西1、5㎞、南北に1㎞)にあり、この地は、旧鴨川と桂川の合流点付近に位置。
西国からの物資が瀬戸内海、大阪湾から淀川を経て鳥羽の港で陸揚げされた物流拠点の地でもありました。
讃岐守・高階泰仲(たかしなのやすなか)ら受領層(現地に赴任して行政責任を負う)が造営を請負い、資材が諸国から集められ、
院政期の鳥羽離宮は「あたかも都遷(みやこうつり)のごとし」として、
京の白河とともに政治・文化の中心地となりました。
14世紀頃まで院御所として使用されますが、南北朝の戦火で多くの殿舎が焼失し、その後、急速に荒廃しました。
なお、鳥羽離宮の発掘調査は1959(昭和34)年の田中殿跡から始まり、1984(昭和59)まで100次を超える調査が行われました。
城南宮の北東方面、第2京阪道路沿いにある「白河天皇成菩提院(じょうぼだいいん)陵」です。
白河天皇は父・後三条天皇(1034〜1073)の譲位をうけ20歳で即位。
父同様に荘園整理などに力を入れ、摂関家の権勢を弱めることに努めました。
1086(応徳3)年、8歳の善仁親王を皇太子に立て、即日譲位。
善仁親王が堀河天皇(1079~1107)として即位します。
白河上皇は幼帝を後見⇒院政の始まりです。
以降、白河上皇は鳥羽天皇(1103~1156)、崇徳天皇(1119〜1164)と43年間にわたって院政を敷き、政治に大きく介入していきます。
白河天皇陵近くに見下ろすように高速道路が造られていました。
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