今熊野さんの観音霊場めぐり

五智水を頂いて、前回わからなかった医聖堂へ。

医聖堂までの道中には、「今熊野西国霊場」があり、三十三観音が祀られています。



西国三十三ヶ所観音霊場めぐりを今熊野観音寺1ヶ所でお参りできます。

というのも実際の西国観音霊場は近畿2府4県と岐阜県に及ぶ長い距離です。



718年、徳道上人(奈良・長谷寺の開基)が62歳の時、上人は病のために亡くなりますが、冥土(めいど→死者の霊魂の行く世界)でエンマ大王に会います。

大王によれば、地獄へ送られる者があまりにも多い。

三十三ヶ所の観音霊場を巡れば滅罪(めつざい→過去に犯した罪を宗教的行為によって消滅すること)の功徳(くどく→自分に良い結果を招く善い行い)があるので、巡礼を広めて人々を救いなさいと託され、現世に戻されました。

上人や弟子たちは、巡礼の大切さを説きますが人々には受け入れられませんでした。



その後、花山院(968~1008 第65代花山天皇)が紀州の那智山で参籠していた折、熊野権現が姿を現し、徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣をうけ、仏眼上人(一説には弁光上人)を先達として巡礼。

やがて、人々に広まりました。

巡礼により、この世では願いを叶えてくれ、あの世では地獄に堕ちることなく極楽往生に生まれ変わるとされます。

京都ばあばもずっと昔、バスツアーで参拝しました。



医療に貢献した方が祀られている多宝塔です。



多宝塔近くにある石碑です。



杉田玄白や山脇東門(山脇東洋の子息)の名前がありました。



武見太郎(1904~1983)氏の名前も。

武見氏は昭和32年から25年間、日本医師会会長を務め、漢方薬を保険診療に適用され、防衛医科大学校の設立や東海大学の医学部設置に便宜を図りました。

武見氏の妻は大久保利通のひ孫、三男は参議院議員の武見敬三(1951~)氏です。1984(昭和59)年に医心方1000年を記念して建てられたようです。

※医心方…平安時代に宮中医官を務めた丹波康頼(912〜995)により撰述され、30巻から成る。

984年に朝廷に献上。1554年、第106代正親町天皇(おおぎまちてんのう 1517〜1593)により典薬頭・半井(なからい)家に下賜。

文化庁が買い上げ、1984年国宝に認定された日本最古の医書。池の傍に「金龍大弁財天」さまが祀られていました。

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