常盤御前と源光寺

嵐電北野線・常盤駅(ときわえき)すぐ、臨済宗天龍寺派「源光寺」があります。

左大臣・源常(みなもとのときわ 812〜854 第52代嵯峨天皇の第3皇子)の山荘を寺に改めたとされます(常盤の名の由来)。

※嵯峨天皇には50人ほどの子があり、うち、32名が「源氏」姓(みなもとを天皇と同じくするの意味)を与えられ皇室を離れました。



右膝を立てている独特のお姿は、



「如意輪観音」さまです。



ご本尊の「地蔵菩薩」さまが祀られています。

毎年8/22~23に行われる、「京都六地蔵巡り・常盤地蔵」で有名です。

狭い寺内の東南に書かれた由緒書きです。



源義経の母・常盤御前(1138~?)が生まれ故郷の常盤の地で隠棲したとありました。

平治の乱の逃亡先で謀殺された源義朝(みなもとのよしとも 1123〜1160)との間に9男・牛若のちの義経の他に、今若、乙若をもうけます。

7男…今若・のちの阿野全成(あのぜんじょう 1153〜1203)

幼少時に醍醐寺で出家しますが平家打倒の令旨を受け、寺を抜け出し東国に下ります。

鎌倉では北条政子の妹と結婚し鎌倉幕府の有力者御家人として将軍家に仕えました。

※阿野廉子(あのれんし 1301〜1359 第97代天皇及び南朝第2代天皇・後村上天皇の母)はその末裔。

8男…乙若・のちの義円(1155〜1181)

園城寺で出家。後白河上皇の皇子に仕えていましたが、平家打倒の挙兵に合流。

1181年、「墨俣川(長良川)の戦い」で討死(享年27歳)

未亡人となった常磐御前は平清盛との間に娘・廊御方(ろうのおんかた)を出産したと云われますが史実としては未確認です。



常磐御前は一条長成と再婚。一条能成(いちじょうよしななり 1163~1238

従三位)をもうけました。

一説には侍女とともに息子・義経を追いかけた伝承もあり、お墓も関ヶ原町や群馬県前橋市と各所に点在しています。

宮中で雑仕女(ぞうしめ 女性の召使い)の採用にあたり、都の美女千人が集められ、その内、百名の中から十名を選び、その十名の中で聡明で一番の美女であったとの逸話が残ります。

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