阿仏尼と大通寺

九条大宮を下がって左手すぐに、



「大通寺(非公開)」があります。

1219年、源実朝(みなもとさねとも 1192〜1219)は甥の公暁(くぎょう こうきょう 1200〜1219)に暗殺されました。

実朝の正室・本覚尼(坊門信子 1193〜1274)は出家後京都に戻り、夫の菩提を弔うために自邸に建立。

【ご本尊】宝冠釈迦如来

もとは現在の六孫王神社南隣にあり、広大な土地を有し、尼寺として栄えましたが、江戸幕府の滅亡により衰退。



1912(明治45)年、東海道線工事により現在地に移転しました。



大通寺で「十六夜日記」の作者・阿仏尼が修行したと伝わります。

阿仏尼(1222?~1283)は宮仕えをしていましたが失恋により出家。

30歳頃に藤原為家(ふじわらのためいえ 1198〜1275 藤原定家三男)の側室となり、冷泉為相(れいぜいためすけ 1263~1328 →父が65歳の時の子?)を出産。

父は幼い子にと播磨国細川荘を為相に譲る遺言状を残しました。

が、

細川荘の相続を巡り、正妻の子・二条為氏(にじょうためうじ 1222~1286)と争います。

阿仏尼は鎌倉幕府に訴えるために鎌倉へ。

100首以上の和歌とともにその時、書かれたのが十六夜日記です。

裁決に8年要し、彼女はその6年前に亡くなります。



冷泉為相の勝訴でした。

為相の娘は鎌倉8代将軍に嫁いで親王を出産します。為相も晩年は将軍を補佐し同地で亡くなります。

和歌や伝統行事を今に伝える冷泉家の始まりです。

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