繁昌神社(はんじょうじんじゃ)

室町通高辻西入る繁昌町に鎮座する、



「繁昌神社」です。

高辻通に面し、参道もなく境内は広くありません。

創建は延喜年間(901~922)

ご祭神は、

市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと 日本の神さまの中で木花咲耶姫命と美しさを競う)

田心姫命(たごりひめのみこと)

湍津姫命(たぎつひめのみこと)

です(宗像三女神 むなかたさんじょしん)。

弟・スサノオの来訪を襲撃と誤解した姉・アマテラスにスサノオが潔白を示すために行った占いで、お互いの持ち物を交換(珠と剣)し、噛み砕き、アマテラスが吹き出した息から生まれたのが、宗像三女神です。

海上安全の神さまで、商品流通の守護から「市の神」として信仰されました。



江戸時代は「功徳院(くどくいん)」として、真言宗の僧が管理。

明治の神仏分離により神社だけが残り、「班女神社(はんにょじんじゃ)」と呼ばれていました。

もともと牛頭天王(ごずてんのう/八坂神社のご祭神)の妃・針才女(弁財天の別名)をお祀りしてましたが、針才女が訛って班女(はんにょ)→繁昌(はんじょう)となったとか。



繁昌神社の北西に、「班女塚」があります。

長門門司の娘は宮仕えを辞めたあと家で暮らしていましたが、27か28歳の時に未婚のまま病死します。

遺体を墓地に運び棺桶をあけたところ、遺体はなく家に戻っていました。

もう1度、墓地に運びましたがいつの間にか家に戻っていて、遺体を動かそうにも動きません。

そこで、遺体を埋めて塚を作り、いつしか、班女(=半女、未婚の女性)と呼ばれるようになりました(『 宇治拾遺物語』より)。

現在、繁昌神社の境内飛び地になっています。未婚の女性はこの塚を訪れると結婚できないと云われています。

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