まるき製パン所への道中にて。

大宮松原にある「まるき製パン所」へ。



と、その前にあちこちと寄り道(3密を避けて)です。

→ばあばが行くところはほぼ見学者0~数名です。

梅小路京都西駅(まだ覚えられません)近くに最近できたホテルです。

七条千本通を北へ。島原・角屋さんの北側に、



「東鴻臚館址(ひがしこうろかんあと)」の石碑があります。

平安時代に朱雀大路の七条以北の東西に2つの鴻臚館が設けられました。

日本の国威を示すため、渤海国(ぼっかいこく)の使節団を大いに歓待しましたが、920年頃に廃止されました。



なお、渤海国は現在の中国東北部から朝鮮半島北部、ロシア沿海にかけて存在した国家です。

さて、五条千本から大宮松原の交差点を東へすぐ、



「まるき製パン所」です。

先日、KBS京都「あんぎゃでござる!!」を見ていたら、お店が出てました。

まるき製パン所の娘さんと高校生時代に付き合っていた彼(現在の2代目)が結婚。トヨタをやめ、余命少ない義父からパンの製造を教えられ今にいたるとか。

3時に起床され、6:30~開店です。



フワフワのコッペパンにキャベツとハム。

胃に優しいパンで2個ペロリ!

作り手の真心が伝わってくるパンでした。

まるき製パン所周辺をウロウロしてると、西洞院高辻を西へ、北側に、



「道元禅師示寂の地」がありました。

道元禅師(1200~1253)は上級貴族・久我家に生まれます(両親については諸説あり)。

比叡山で出家後に建仁寺の栄西の門に入って禅を学び、中国・宋で4年修学。

帰国後、深草に興聖寺(こうしょうじ のち宇治へ)を建て教化に努めました。

晩年、越前の地頭・長多野義重(はたのよししげ)に招かれ永平寺創建。

1253 年に病気療養のため上洛し、この地にあった俗弟子・寛念の屋敷で示寂。

道元禅師は権勢に近寄らず、理論を捨て体験による行「只管打坐(しかんたざ)=ただひたすら座禅すること」を主張。

日本の曹洞宗の開祖となります。

【追伸】

「いいね!光源氏くん」が最終回でした。

ハッピーエンドで終わってホッ!

次回作では子供が生まれて育児に追われる源氏(千葉雄大 1989~宮城県出身)くんと沙織(伊藤沙莉/いとうさいり 1994~千葉県出身)殿が見たいです…まあ、無理かな。

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