野々宮神社その後。
- 2020.05.29
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「野々宮神社(ののみやじんじゃ)」があります。
平安時代より、占いで選ばれた未婚の皇族の女性が、斎王として伊勢神宮に赴くまでの1年間余り、心身を清めるために特別に築かれた御殿です。
野々宮神社はその御殿跡に建てられたと云われ、野々宮の跡は嵯峨野を中心に何ヶ所かあります。社殿は1774(安永4)年に第118代後桃園天皇(1758~1779 22歳)が、京都御所の賢所(かしこどころ 宮中にある神殿)の社殿を寄進されたものです。前に訪れた時、社殿スレスレに直径30cm以上はある大木が倒れていたのですが(左の灯籠あたり)、きれいに片付けられていました。
斎王は第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと 天照大神の鎮座の地を伊勢に定めた)が最初の斎王とされます(一説には第10代崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命)。
倭姫命も豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)も伝承上の皇女とされます。672年の壬申の乱で勝利した第40代天武天皇がその御礼に大来皇女(おおくのひめみこ 661~702)を伊勢に使わせたのが最初の斎王とされ、南北朝時代の祥子内親王(後醍醐天皇皇女)までの660年、60余人の斎王が誕生しました。
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