宇治橋にて。

宇治橋近くの「宇治川」で、



ランチです(税込2200円)。

天ぷらがサクサクして美味しかったです。



宇治橋近くに、

「夢浮橋(ゆめのうきはし)之古蹟」の石碑がありました。

いつの頃からか源氏物語の舞台はここであってほしいという人々の思いによって宇治川周辺に宇治十帖の古蹟が作られました。



“夢浮橋”は源氏物語五十四帖の最後の巻です。



紫式部(生没年不詳)は夫・藤原宣孝(ふじわらののぶたか ?~1001 他に3人の妻あり )との結婚生活は3年あまりしかなく、宣孝の死後、藤原道長の長女・彰子(しょうし 988〜1074 87歳→第66代一条天皇中宮)に女房として仕えることになります。

なお、宣孝との間に賢子(けんし 生没年不詳 大弐三位だいにのさんみ)をもうけて、賢子はやがて、第70代後冷泉天皇の乳母となります。彼女も歌人として後世に名を残しています。



宇治橋は

“瀬田の唐橋(勢多次郎)”

“山崎橋(現在の八幡市、現存せず、山崎太郎)

とともに”宇治三郎”と称される

日本三古橋のひとつで、

長さ約155m、幅25mあります。

646年、奈良元興寺の僧・道登により架けられ、

最近では1996(平成8)年に架け替えられました。

宇治川の上流側に張り出した「三の間」は守護神「橋姫」を祀った名残りと云われます。

また、秀吉がお茶のための水を汲み上げたとも伝わります。

【追伸】

宇治川の流れは怖いくらい速いです。

それにしても、宇治市が京都市や大津市と接していたとは…初めて知りました。

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