玄武神社…悲運の惟喬親王

市バス「大徳寺前」下車。

猪熊通りを南へ徒歩5分。



「玄武神社(げんぶじんじゃ)」です。

“玄武”は北を守る神さまで亀に蛇が巻きついた形で描かれています。

【ご祭神】惟喬親王(これたかしんのう 844~897)

惟喬親王の末裔でこの地に住んでいた、親王の母方の親族・星野茂光が

親王の御霊を慰め、

また、平安京の北面の鎮護を願い、

親王の祖父・紀名虎が所蔵していた剣(親王が寵愛していた)を祀ったことに始まります。



惟喬親王は第55代文徳天皇(もんとくてんのう 827~858 32歳)の第一皇子として産まれますが、

右大臣・藤原良房の娘・明子(あきらけいこ 829~900)が惟仁親王(これひとしんのう)を産むと、

3人の兄を差し置き、

生後8ヶ月で惟仁親王が皇太子となり、

9歳で即位し、第56代清和天皇(せいわてんのう 850~880 31歳)となります。

文徳天皇は惟仁親王が成人するまで惟喬親王に皇位継承させようとしますが、

良房の権力を恐れた源信(みなもとのまこと 810~869 父は嵯峨天皇)の進言で実現しませんでした。



惟喬親王は872年に病のため官職を辞し、出家して比叡山山麓の小野に隠棲します。

死期が迫ると、御所の川上の地を避けて雲ケ畑に移り住み死去したと伝わります。



惟喬親王の母・紀静子(きのしずこ ?~866)は、親王の他に、

惟条親王(これえだしんのう 23歳)

恬子内親王(てんしないしんのう 伊勢斎宮 ?~913)

述子内親王(じゅつしないしんのう 賀茂斎院 ?~897)

珍子内親王(ちんしないしんのう ?~877)を産んでいます。

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