京都御苑…賀陽宮邸跡

宗像神社からしばらく北へ歩くと、伏見宮邦家親王(ふしのみやくにいえ)の第4王子・朝彦親王(1824~1891)の屋敷がありました。

※伏見宮邦家親王(1802~1872)

→世襲親王家・伏見宮家の第20、23代当主。1妃9女房から17王子15王女に恵まれ、旧皇族11家のすべての源流にあたります。

なお、伏見宮家は北朝第3代崇光天皇(すこうてんのう)の第1皇子・栄仁親王(よしひとしんのう 1351~1416)を初代とします。



邸内に榧(かや)の木があることから賀陽宮と命名(中川宮→賀陽宮→のち久邇宮)されました。

賀陽宮朝彦親王は青蓮院門跡、天台座主を歴任後に孝明天皇のご信任厚く、1863年に還俗し、中川宮として天皇を支えました。

明治維新後は反政府運動の嫌疑で広島に幽閉されますが、翌年に帰京。

1876(明治8)年、伊勢神宮祭主となられ、久邇宮家を創設しました。久邇宮朝彦親王も5人の女房から9王子9王女に恵まれました。

第2王子 賀陽宮邦憲王(初代賀陽宮 43歳 病弱のために弟に家督を譲る)

第3王子 久邇宮邦彦王(第2代久邇宮 57歳 現在の上皇の母・香淳皇后の父)

第4王子 梨本宮守正王(第3代梨本宮 78歳)

第8王子 朝香宮鳩彦王(やすひこおう 初代朝香宮 95歳)→妃は明治天皇第8皇女・允子(のぶこ)内親王。港区白金台にある東京都庭園美術館が朝香宮邸跡。

第9王子 東久邇宮稔彦王(なるひこおう 初代東久邇宮 104歳)→妃は明治天皇第9皇女・聡子(としこ)内親王

久邇宮家からは賀陽宮家、朝香宮家、東久邇宮家が分家していきます。貽範碑(いはんひ)と刻まれた右上の巨石(高さ2m)は久邇宮朝彦親王の遺徳を偲び、邸宅跡を記念すべく、朝彦親王没後40年の昭和6年に建立されました。

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