京都御苑…土御門第跡(道長の邸跡)

大宮御所の北側に、「土御門第跡(つちみかどていあと)」があります。

藤原兼家の五男であった道長(966〜1028)は甥の伊周(これちか)と政権を争って勝利し、道長全盛時代を築きます

*長女・彰子(988〜1074 87歳)→第66代一条天皇(980〜1011)の中宮になり、

第68代後一条天皇(1008〜1036)と第69代後朱雀天皇(1009〜1045)を出産

*次女・妍子(994〜1027 34歳)→18歳年上の第67代三条天皇(976〜1017)の中宮

道長は孫の敦成親王(あつひらしんのうのちの後一条天皇)を即位させるために娘婿の三条天皇に退位を迫ったとされます。

*四女・威子(1000〜1036 37歳)→甥で8歳年下の第68代後一条天皇の中宮

と3人の娘が天皇の妃となります。



1018年10月16日(新暦の11/26)の満月の夜、威子が中宮となった日の宴席で、

「この世をばわが世とぞ思ふ望月の かけたることもなしと思へば」

と詠んだのがこの地だと伝わります。



六女・嬉子(1007〜1025 19歳)も甥の後朱雀天皇の皇太子時代に入内し、後冷泉天皇(1025〜1068)を産みますが2日後に亡くなります。

研子に続き、嬉子にも先立たれた道長は悲嘆にくれたと伝わります。

栄華を極めた土御門第でしたが、鎌倉時代には荒廃していた記録が残ります。

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