京都御苑…紀貫之邸跡から博覧会場跡へ

仙洞御所の南側、ここには、

桜が多く植えられていた、「桜町(紀貫之邸)」があったとされます。

紀氏は古くからの豪族の家系ですが、

世は藤原氏の時代…です。

しかし、貫之は第60代醍醐天皇より命じられ、最初の勅撰和歌集(天皇や上皇の命で編纂された)である、

905年に編纂された「古今和歌集」の編者の一人として活躍します。



また、930〜935年まで土佐守として赴任。

帰郷後に日本で最初のかな文字を使った日記⇒「土佐日記」を執筆します。

なお、この付近は、「源氏物語」の中で、

末摘花の邸宅や空蝉と出会った紀伊守中川家、花散里が暮していた場所に設定されています。

“桜町”から、南へ進むと、



グランド近くに、

「博覧会場跡」の駒札がありました。



東京遷都後、京都が寂れることを心配した京都府関係者らは、

1871(明治4)年に日本最初の博覧会を西本願寺で開き、伝統産業品を網羅して展示しました。

第2〜9回までは仙洞御所で開催され、

1881年の第10回からはこの地に建設された常設会場で行われました。

1914(大正3)年以降は岡崎の京都市勧業館が会場となりました。

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