🐁2020紅葉…悲願の厭離菴訪問

二尊院近くには紅葉の季節にしか公開されない、厭離菴(えんりあん)があり、

その途中には、「中院山荘跡(ちゅういんさんそうあと)」の駒札がありました。



鎌倉幕府の有力御家人・宇都宮頼綱(1172~1259)は政争に巻き込まれるのを避けて60余人の家臣とともに出家し、蓮生(れんしょう)と名乗り上洛。

法然上人に師事し、この地に山荘を営みます。

近くの小倉山麓に山荘を構えていた藤原定家とも親交があり、彼の娘は定家の子・為家に嫁いでいました。

1235年、蓮生は定家に山荘の襖に貼る色紙を依頼。

定家は色紙に天智天皇以来の歌を撰び執筆、襖に飾りました…小倉百人一首の始まりです。



厭離菴は紅葉の季節しか公開されていません(通常は予約)。

前を通る度に思いが膨らんで今回の訪れとなりました。



こじんまりしていますが、



思っていた通りの風情です。



調べると”厭離”とはケガレた現世を嫌い離れることとありました。



竹の囲いがなかなかの味を出していました。



厭離菴は定家が住んだ山荘跡で、小倉百人一首を編纂した処と寺の由緒書きにありました(定家の山荘跡には諸説あり)。



幾度かの荒廃を繰り返し、明治43年に山岡鉄舟の娘・素心尼が住職となり、



尼寺となりました。



仏堂は近江商人で百貨店白木屋の創業者・大村彦太郎(1636~1689)氏が建立。



ご本尊は如意輪観音さんです。

(11/20参拝)

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