🐁ここに大仏さんが…。

方広寺の鐘楼堂南側の細い道を東に歩いてすぐに、



公園に整備された大仏殿跡がありました。



秀吉は奈良の大仏(高さ15m)より高い19mの大仏を造営。

1595年に高さ49mもの大仏殿も完成し、開眼法要を控えた1596年に、

慶長伏見地震が起こりました。

大仏殿は無事でしたが、大仏さんは大破。

秀吉は「おのれの身さえ守れぬのか!」と眉間に矢を放ったと伝わります。

豊臣家が滅んだ後も倒壊と再建を繰り返し、大仏の銅像は銅銭となり、木造に改められますが、

→1798年落雷で焼失→1843年半身の大仏として再興→昭和48年の火災でとうとう消滅してしまいました。



この場所に、19mの大仏さんと大仏殿があったんですね。



秀吉は、盛大に催された醍醐の花見の4ヶ月後、旧暦の1598年8月18日に伏見城で亡くなりました。



なお、国立京都博物館正面横の石垣は方広寺の南側の石垣にあたります。

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