🐁こんな場所に供養塔が。

ここは七条通り千本七本松交差点近くの通り過ぎてしまうような路地。



その路地を入るとお寺の門の右手に、



源為義公の塚があります。

為義(1096~1156)は源頼朝の祖父にあたります。

保元の乱(ほうげんのらん 1156年→いつも平治の乱とこんがらがってしまいます😅)で崇徳上皇方の主力として戦いますが敗北し、後白河天皇方についた長男・義朝(頼朝の父)の手で5人の子らとともに船岡山で処刑されたと云われます。

もとは七条通りを挟んで北側に供養塔がありましたが、京都駅の拡張工事に伴って現在地に移されました(合掌)。



為義は六条堀川に住んでいたので”六条判官”と呼ばれます。

いよいよ、「権現寺」さんへ。



右手の潜戸から入りましたが、

調べると、参拝は自由ですが、

一声おかけください。

潜戸の戸締りはしっかりと

とありました。



ので、入らせてもらいました。



門近くには柔和なお地蔵さんが迎えてくれました。



右手には本堂。阿弥陀さまが鎮座しています。



本堂の左手には「地蔵堂」があります。

山椒太夫から逃れた厨子王が葛龍(つづら)に隠れている時に追手から槍で突かれるのですが、大事に持っていたお地蔵さんの胴にあたって命を救われたとあり、

このお堂には、その時のお地蔵さんが”身代わり地蔵”さんとして安置されています。

また、平安時代に奈良・元興寺から移された勝軍地蔵さんも祀られているとか。



地蔵堂の軒下にはたくさんの石仏が…。

権現寺の前身・祇陀林寺(ぎだりんじ)の遺仏とされ、明治時代の京都駅拡張に伴い現在地に移転しました。

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