🐁こんな場所に供養塔が。
- 2021.02.22
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その路地を入るとお寺の門の右手に、
源為義公の塚があります。
為義(1096~1156)は源頼朝の祖父にあたります。
保元の乱(ほうげんのらん 1156年→いつも平治の乱とこんがらがってしまいます😅)で崇徳上皇方の主力として戦いますが敗北し、後白河天皇方についた長男・義朝(頼朝の父)の手で5人の子らとともに船岡山で処刑されたと云われます。
もとは七条通りを挟んで北側に供養塔がありましたが、京都駅の拡張工事に伴って現在地に移されました(合掌)。
為義は六条堀川に住んでいたので”六条判官”と呼ばれます。
いよいよ、「権現寺」さんへ。
右手の潜戸から入りましたが、
調べると、参拝は自由ですが、
一声おかけください。
潜戸の戸締りはしっかりと
とありました。
ので、入らせてもらいました。
門近くには柔和なお地蔵さんが迎えてくれました。
右手には本堂。阿弥陀さまが鎮座しています。
本堂の左手には「地蔵堂」があります。
山椒太夫から逃れた厨子王が葛龍(つづら)に隠れている時に追手から槍で突かれるのですが、大事に持っていたお地蔵さんの胴にあたって命を救われたとあり、
このお堂には、その時のお地蔵さんが”身代わり地蔵”さんとして安置されています。
また、平安時代に奈良・元興寺から移された勝軍地蔵さんも祀られているとか。
地蔵堂の軒下にはたくさんの石仏が…。
権現寺の前身・祇陀林寺(ぎだりんじ)の遺仏とされ、明治時代の京都駅拡張に伴い現在地に移転しました。
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