💫清盛の娘婿→高倉天皇  そして 六条天皇 陵へ。

清水の舞台から見える”子安の塔”をさらに奥へ。



しばらく山道を進むと、



平清盛のお婿さん→第80代高倉天皇の陵があります。

5歳の六条天皇が退位し、7歳で高倉天皇は即位します(政治は先先々代の後白河天皇が院政を敷きます)。

11歳の時、6歳年上の従兄弟⇒清盛の長女・平徳子を中宮に迎えます。

お二人にはのちの安徳天皇(8歳)が生まれますが、源平合戦の時、壇ノ浦でおばあちゃんとともに入水してしまいます。

また、「承久の乱」を起こした第82代後鳥羽天皇(1180〜1239)のお父さんでもあります。



父・後白河院と義父・清盛の対立で心労の絶えない立場であったと云われます。

高倉天皇は色白の美男子で、多くの人に愛されたと伝わります。



「歌の中山」は子安の塔から清閑寺までの山路で、清閑寺の寺伝によれば真燕僧都が門前で美女を見かけ、俗念を起こして清水までの道を尋ねたところ、美女が歌を返して姿を消し、詠まれた場所が当地であったことによります。



1180年、高倉天皇は徳子との子・安徳天皇に譲位し、太上天皇となり院政を開始しますが間もなく病に倒れ、翌年、21歳で崩御。

一方の第79代六条天皇は満7ヶ月と11歳で親王宣下、皇太子となり、その日のうちに即位します(歴代最年少天皇)。

1ヶ月後の即位式では泣き出し、乳母が授乳して、やっと落ち着かせたと云われます。

在任中は後白河院の庇護下に置かれますが、清閑寺境内にあった中納言・藤原邦綱の邸宅で崩御(13歳。死因は赤痢?邦綱は乳母の父)。



御陵右側の石段を昇ると清閑寺に至ります。             つづく

こちらもよろしくお願いします↓

にほんブログ村 旅行ブログ 京都旅行へ
にほんブログ村

京都ばあばイチ押し!京都観光のガイドブック