💫清盛の娘婿→高倉天皇 そして 六条天皇 陵へ。
- 2021.04.03
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しばらく山道を進むと、
平清盛のお婿さん→第80代高倉天皇の陵があります。
5歳の六条天皇が退位し、7歳で高倉天皇は即位します(政治は先先々代の後白河天皇が院政を敷きます)。
11歳の時、6歳年上の従兄弟⇒清盛の長女・平徳子を中宮に迎えます。
お二人にはのちの安徳天皇(8歳)が生まれますが、源平合戦の時、壇ノ浦でおばあちゃんとともに入水してしまいます。
また、「承久の乱」を起こした第82代後鳥羽天皇(1180〜1239)のお父さんでもあります。
父・後白河院と義父・清盛の対立で心労の絶えない立場であったと云われます。
高倉天皇は色白の美男子で、多くの人に愛されたと伝わります。
「歌の中山」は子安の塔から清閑寺までの山路で、清閑寺の寺伝によれば真燕僧都が門前で美女を見かけ、俗念を起こして清水までの道を尋ねたところ、美女が歌を返して姿を消し、詠まれた場所が当地であったことによります。
1180年、高倉天皇は徳子との子・安徳天皇に譲位し、太上天皇となり院政を開始しますが間もなく病に倒れ、翌年、21歳で崩御。
一方の第79代六条天皇は満7ヶ月と11歳で親王宣下、皇太子となり、その日のうちに即位します(歴代最年少天皇)。
1ヶ月後の即位式では泣き出し、乳母が授乳して、やっと落ち着かせたと云われます。
在任中は後白河院の庇護下に置かれますが、清閑寺境内にあった中納言・藤原邦綱の邸宅で崩御(13歳。死因は赤痢?邦綱は乳母の父)。
御陵右側の石段を昇ると清閑寺に至ります。 つづく
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