💫不動堂明王院…新選組幻の屯所跡
- 2021.04.15
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道祖神社の南隣に、
「不動堂明王院」があります。
かつて、空海が東寺を建立した際、東北の鬼門にあたるこの地に守護のため、不動尊を祀ったことに始まります。
空海はこの地で発見した霊石に自ら不動明王を刻み、石棺に納められ、地中の井戸深く安置されました。
宇多法皇が後院・亭子院(ていじいん)を営むにあたり、この霊石を掘り出させようとしましたが、霊石不動明王を見た者は眼を痛め恐れをなしたため果たせなかったと云われ、法皇は井戸を封印し、大きな堂を営み、念持仏とされました。
※亭子院…第53代淳和天皇女御・永原原姫(ながはらのもとひめ ?〜868)の邸宅。池中の中島に亭(あずまや)を設けていたことから亭子院と呼ばれました。その後、藤原基経の別邸→基経の娘・温子が宇多天皇の女御となり→宇多法皇が御所のひとつとされました。
1764年に建立された本堂には、お前立の不動明王を中心に左には役行者像、右に弘法大師空海像が安置されています。
暗いお堂の中、眩いばかりの三尊像に手を合わせました。
毎月第4日曜日の午後から護摩が炊かれています。
また、不動堂明王院付近は新選組の屯所が西本願寺から不動堂村へと移った際の場所とも云われ、「新選組幻の屯所」とされます。
※新選組屯所の所在は「堀川の東、木津屋橋の南」とありましたが、
2003年に霊山歴史館の調査で堀川塩小路と特定され、堀川通を渡り、リーガロイヤルホテル敷地内に「不動堂村屯所跡」の石碑が建っています。
不動堂村の屯所は1867年6/1〜12/14 (鳥羽・伏見の戦いの半年前)まで使われ、新選組は伏見奉行所へと移って行きます。
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