銀閣寺…義政の生涯
- 2021.07.23
- 未分類
1482年に応仁の乱で焼失した浄土寺の跡地に西芳寺(苔寺)を模して、室町幕府8代将軍・足利義政(1436〜1490)により8年の年月をかけ東山山荘が造営されました。
高さ5mの銀閣寺垣が50mほど続きます。
“銀閣”と呼ばれたのは江戸時代に入ってからといわれます。
銀閣には銀箔が貼られていたのではと考えられていましたが、2007年の調査では銀箔の痕跡は検出されませんでした。
足利義政(1436~1490)は、同母兄で義教の長子・義勝の急死(赤痢か?)により、14歳で室町幕府第8代将軍となります。
20歳で日野富子を正室に迎えますがなかなか子供に恵まれず、次期将軍を異母弟・義視に託しますが義尚(よしひさ 1465~1489 25歳)の誕生で応仁、文明の乱のひとつの要因となっていきます。
1474年、9歳で第9代将軍になった義尚は15年余その職にありますが、1489年の3月に六角氏討伐の陣中で死去。一説には過度のアルコールによる脳卒中といわれています。
※義政は実権を義尚になかなか渡さずに父子間の確執があったとされます。
同年8月、義政自身も脳卒中で身体が不自由となり、
翌1490年1月、銀閣の完成を待たずして、義尚の後を追うように死去します。
-
前の記事
琵琶湖の水を止められても→琵琶湖疏水感謝金を払ってます 2021.07.21
-
次の記事
銀閣寺の庭園をぐるり 2021.07.24