岡崎神社①子授けと厄除けの神さま
- 2021.07.31
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丸太町通から白川通に入る手前に、
「岡崎神社」があります。
794年 平安京遷都の際に、京の四方守護のために建立された社のひとつで都の東に鎮座しており、今でも厄除けの神社としての信仰が絶えません。
ご祭神は、
スサノオノミコトと妻・クシイナダヒメノミコトとその御子・三女五男八柱の神さま
が祀られています。
第56代清和天皇が869年に播磨国(兵庫県)広峯からご祭神をお迎えして再建。
1178年、第80代高倉天皇の中宮・平徳子(平清盛娘)がお産の折に奉幣を賜ったことから安産の神さまとしての信仰も絶えません。
※奉幣は天皇の命で(または天皇自ら)、布や武具、お神酒などを奉献すること。
徳子は第一皇子・安徳天皇を出産しますが、壇ノ浦の闘いで安徳天皇はおばあちゃんとともに入水されます(享年8歳)。
境内には八坂の塔の傾きを法力でもどしたと伝わる僧・浄蔵貴所(じょうぞうきしょ 891~964)の父、
漢学者の三善清行(みよしきよゆき 847~919)邸宅跡の石碑が建っていました。
清行は正義感にあふれ、権威に屈せず、そのため官位が停滞したと云われます(従四位上・参議、贈正二位)。
本殿左手には、
「宮繁稲荷神社」があります。
もと仙洞御所内に祀られていましたが炎上したために遷座されました。
お稲荷さんなので、伏見稲荷と同じく倉稲魂神(うがのみたまのかみ)の他、蛭子大神や大国主大神もお祀りされています
境内東北の奥まった所に、
「雨社」がありました。
もとは大文字山の山中に鎮座。五穀豊穣を祈る雨乞いの神さまです。安目社とも呼ばれて目の病気平癒にご利益があるとのこと
山の神さま・大山祇命(おおやまつみのみこと)、句々廼馳命(くくのちのみこと)、国挟槌命(くにさつちのみこと)、豊宇気媛命(とようけひめのみこと)、闇像女命(みづはのめのみこと)
五柱の神さまが祀られています。
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