空海を護ったお地蔵さん…矢取地蔵
- 2021.08.14
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東寺の近く、バス停「羅生門」下車すぐ、
狭い公園内に羅生門跡の石碑が建っています。
明治28年に平安遷都千百年記念の事業として平安京実測事業が実施され、その時に羅城門の位置が決められました。
羅城門は平安京のメインストリート・朱雀大路の南端に設けられた大門です。
816年大風で倒壊し、再建されますが、
980年暴風雨で倒壊したあとは再建されず、「今昔物語」によれば、倒壊以前にはすでに荒廃しており、上層部には死者が捨てられていたとか。
東寺に安置されている兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)立像は羅生門にあったとされます。
※兜跋毘沙門天は兜跋国(チベット)が敵国に攻められた時、城にいた僧侶たちの祈りによって毘沙門天が出現し、敵を撃退したと伝わります。
大地の神である地天女に両足を支えられて立ち、2匹の鬼を従え、頭は筒状の宝冠をかぶり、膝下まである甲冑をまとっています。
公園左手には、
「矢取地蔵尊」が祀られているお堂があります。
平安時代、羅生門の西には西寺を任された守敏(しゅびん 生没年不詳)が、東寺には空海がおり、守敏と空海はことごとく対立していたと伝わります。
824年、日照りが続き、天皇の勅命で守敏と空海は雨乞いの儀式を行います。
守敏は雨を京に降らせることに成功しますが、空海は雨を降らせることができませんでした。
空海が法力を使い調べると、守敏が国中の龍神を瓶に閉じ込めていました。
しかし、天竺の善女竜王だけは守敏の手から逃れていたので、空海は善女竜王を呼び寄せて祈り、国中に雨を降らすことができました。
これにより、守敏は空海を恨み、羅生門近くで待ち伏せて矢を射掛けますが、その時、1人の黒衣の僧が現れ、空海の身代わりとなって矢を受けたために空海は難を逃れました。
その後、人々は黒衣の僧こと身代わり地蔵を矢取の地蔵と呼び、羅生門の跡地のこの地に地蔵尊を建立し敬ってきました。
現在の地蔵堂は明治18年に唐橋村の人々により寄進されました。
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