空海を護ったお地蔵さん…矢取地蔵

東寺の近く、バス停「羅生門」下車すぐ、








狭い公園内に羅生門跡の石碑が建っています。




明治28年に平安遷都千百年記念の事業として平安京実測事業が実施され、その時に羅城門の位置が決められました。




羅城門は平安京のメインストリート・朱雀大路の南端に設けられた大門です。




816年大風で倒壊し、再建されますが、








980年暴風雨で倒壊したあとは再建されず、「今昔物語」によれば、倒壊以前にはすでに荒廃しており、上層部には死者が捨てられていたとか。




東寺に安置されている兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)立像は羅生門にあったとされます。




※兜跋毘沙門天は兜跋国(チベット)が敵国に攻められた時、城にいた僧侶たちの祈りによって毘沙門天が出現し、敵を撃退したと伝わります。




大地の神である地天女に両足を支えられて立ち、2匹の鬼を従え、頭は筒状の宝冠をかぶり、膝下まである甲冑をまとっています。




残念ながら羅生門の遺構は確認されていません




公園左手には、




「矢取地蔵尊」が祀られているお堂があります。




平安時代、羅生門の西には西寺を任された守敏(しゅびん 生没年不詳)が、東寺には空海がおり、守敏と空海はことごとく対立していたと伝わります。








824年、日照りが続き、天皇の勅命で守敏と空海は雨乞いの儀式を行います。




守敏は雨を京に降らせることに成功しますが、空海は雨を降らせることができませんでした。




空海が法力を使い調べると、守敏が国中の龍神を瓶に閉じ込めていました。




しかし、天竺の善女竜王だけは守敏の手から逃れていたので、空海は善女竜王を呼び寄せて祈り、国中に雨を降らすことができました。








これにより、守敏は空海を恨み、羅生門近くで待ち伏せて矢を射掛けますが、その時、1人の黒衣の僧が現れ、空海の身代わりとなって矢を受けたために空海は難を逃れました。




その後、人々は黒衣の僧こと身代わり地蔵を矢取の地蔵と呼び、羅生門の跡地のこの地に地蔵尊を建立し敬ってきました。




左には可愛らしいお地蔵さんが鎮座してます。左手に宝珠、右手に矢を持っています。また、右肩に矢傷の痕が残っているとありました。








現在の地蔵堂は明治18年に唐橋村の人々により寄進されました。

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