六孫王神社
- 2021.09.06
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東寺の北西にあり、桜で有名な六孫王(ろくそんのう)神社。
神社名は、
ご祭神の源経基(?~961?)が第56代清和天皇の第六皇子・貞純親王の子=天皇の孫
にあたることに由来します。
経基王は温厚で博学であったとされます。平将門の乱や藤原純友の乱では鎮守府将軍として任地に赴き乱を平定、武門の棟梁として名を馳せました。
経基は「亡き後も霊魂は龍(神)と化し、此の西八条亭の池に住みて子孫の繁栄を祈らん」と遺言したと伝わります。
経基公が嫡男・満仲の健育、知育のために竹生島(琵琶湖に浮かぶ)の弁財天を勧請しました。
中世には衰退しますが、1701年に江戸幕府より再興、元禄年間には多くの塔頭を有し、広大な寺地を形成したこともありました。
六孫王神社の北には、
「ちごの水不動明王堂」がありす。
その昔、六孫王神社の隣には「大通寺」があり、二つ合わせて「遍照心院」と呼ばれていました。
大通寺は鎌倉幕府第3代将軍・源実朝(1192~1219 父は源頼朝、母は北条政子)の妻である坊門信子(1192~1274)が実朝の菩提を弔うために建立、明治45年に東海道線移設により東寺の南東に移転しますが、境内にあった不動明王堂は残されました。
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