六孫王神社

東寺の北西にあり、桜で有名な六孫王(ろくそんのう)神社。




神社名は、




ご祭神の源経基(?~961?)が第56代清和天皇の第六皇子・貞純親王の子=天皇の孫




にあたることに由来します。




経基の子・満仲が父の邸宅であったこの地に父を葬り、その前に社殿を建立したのが始まり(創建は伝・963年)




経基王は温厚で博学であったとされます。平将門の乱や藤原純友の乱では鎮守府将軍として任地に赴き乱を平定、武門の棟梁として名を馳せました。




桜の木も今は鬱蒼としています




経基は「亡き後も霊魂は龍(神)と化し、此の西八条亭の池に住みて子孫の繁栄を祈らん」と遺言したと伝わります。




境内右手にある満仲誕生時に産湯として使われた井戸に建つ弁財天社




経基公が嫡男・満仲の健育、知育のために竹生島(琵琶湖に浮かぶ)の弁財天を勧請しました。








残念ながら名水には出会えませんでした




安産や幼児の守護として信仰されている満仲誕生水です




太鼓橋を渡って本殿へ












中世には衰退しますが、1701年に江戸幕府より再興、元禄年間には多くの塔頭を有し、広大な寺地を形成したこともありました。




右上には東海道新幹線が走っています。








境内には寄進された燈籠がいくつか。




春に訪れた時は桜だと思っていましたが、何故か梅の実がなっていました😆




涼しげなスイカも栽培されてました




六孫王神社の北には、








「ちごの水不動明王堂」がありす。




その昔、六孫王神社の隣には「大通寺」があり、二つ合わせて「遍照心院」と呼ばれていました。




眼病にご利益があるお不動さん




ちっちゃな不動明王ですが、大通寺の境内にあったとされます。




大通寺は鎌倉幕府第3代将軍・源実朝(1192~1219 父は源頼朝、母は北条政子)の妻である坊門信子(1192~1274)が実朝の菩提を弔うために建立、明治45年に東海道線移設により東寺の南東に移転しますが、境内にあった不動明王堂は残されました。

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