ここから始まった応仁の乱…上御霊神社

本殿裏には、それはそれはたくさんの銀杏の実が落ちていましたが、どことなくうす暗い場所でしたので拾うのを残念!

さて、今回は「上御霊神社」です。

その前に、



1477年から続く、「水田玉雲堂(みずたぎょくうんどう)」です。

からいた=唐板→疫病よけの煎餅ひとすじのお店です。

前回食べたので今回はスルー😆😆😆です。

さて、いよいよ境内へ。



ご祭神は早良親王(さわらしんのう 750?〜785)始め、



奈良・平安初期に不運のうちに亡くなった八柱の神霊が祀られ、その後、五柱が増祀され今に至ります。



特に桓武天皇夫人の藤原吉子(?〜807)は謀反の罪で息子の伊予親王(783?〜807)とともにお寺に幽閉され、食を絶たれ亡くなられます。

桓武天皇といえば平安京遷都を成し遂げた偉大な天皇さんのイメージですが…。

この日は生花が供えられていました。



また、境内には八百万の神さまも祀られていました。



そして…1467年正月18日朝から御霊の森での合戦から始まった”応仁の乱”

前の日に畠山政長(1442〜1493)が2,000人の兵を率いて布陣。



そこに、畠山義就(1437?〜1491 )が兵3,000余で攻撃し、西軍・山名政豊が加勢。

18日は激しい戦いが続きますが、細川勝元は動かずに政長方は退去!

同年5月には東西両軍の全面的戦となり10年も続いた応仁の乱は京都を焼き尽くします。

境内には「司馬温公の瓶割り」を題材にした像がありました。



お尻がユーモラスでしたので



パチリ。

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