円山公園の東北奥は?

今日は八坂神社から円山公園の奥を探検します。

八坂神社西門近くでは、



何故か室町幕府第13代将軍・足利義輝が迎えてくれました。

八坂神社にお参りして、

円山公園”ひょうたん池”のほとりへ。

「祇園小唄の歌曲碑」が、



建っていました。

長田幹彦は祇園の茶屋「吉うた」で作詞したといわれます。

マキノ映画「祇園小唄絵日傘(昭和5年)」の主題歌として全国的に流行。

振り付けは京舞4世井上八千代氏。

“月はおぼろに東山

かすむ夜毎(よごと)のかがり火に…”

と祇園の四季を歌っています。



歌詞が色付けされていたのですが当時からでしょうか?

さらに、ひょうたん池を東へ。

円山公園は明治19年12月25日に京都市内最古の公園として開園。

最近、大正初期の作庭当初の景観に庭園が修復工事されたニュースが流れていました。



さらに進むと龍馬さんと座った慎太郎さんの銅像がありました。

慎太郎さんの身長は153cm、一方の龍馬さんは173〜175cm(いずれも推定)と身長差があるのでバランスをとったとか。



昭和11年に建てられますが第二次世界大戦中の金属供出のために取り壊され、昭和37年、京都高知県人会有志によって再建されました。

銅像横から奥へと進むと、



「慈円山安養寺」に出ました。



寺伝によれば延暦年間(782〜806)に最澄が開創。

“法然、親鸞両上人御旧跡吉水草庵”の石碑が建っていました。



現在は阿弥陀堂と書院が残されていました。



安養寺には6つの塔頭があり、互いに贅を尽くした庭園美と楼閣を構え、遊客に席を提供しかなりの賑わいだったと伝わります。

そのひとつが「左阿弥」です。織田信長の弟・織田有楽斉の次男頼長が出家し、この地に住み茶の道を楽しんだと云われ、1849年に料亭となり今に至っています。

また、六塔頭のひとつ、「也阿弥」は西洋式ホテルを経営…しかし、明治39年の火災で廃業となりました。

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