通院の寄り道→座敷わらしの若一神社(にゃくいちじんじゃ)
- 2024.12.14
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日向地蔵さんからワコール本社、JR西大路駅を通過し西大路八条北東にある、
「若一神社」へ。
平清盛の別邸・西八条殿跡地に建立。
1166年、清盛が熊野詣での折に熊野権現から「土中に隠れたるご神体(若一王子)世に出しお祀りなさい。」
とのお告げをうけました。
帰京後、西八条殿内の東方築山より夜光が放たれていたので自ら築山を掘ったところ埋もれたご神体がこの世に出てきました。
翌1167年、清盛は太政大臣となりいつしか開運出世の神さまとして伝わりました。
先日通ると童ちゃん絵馬の多さににびっくり(御金神社のイチョウ絵馬の次くらいに多い???→少し盛ってます)。
顔を自由に書き、裏には願い事。
何故なら若一さんの前には、
樹齢800年ともいわれる平清盛公手植えのクスノキがあり、
このご神木に座敷わらしが宿っているという話があるのです(ばぁばは数えきれないくらい通っていますがお目にかかってません)。
※清盛には座敷わらしが付き、清盛が亡くなられると離れてしまったとか。
この神聖な場所には12体のわらしさんがいるようで、「面白そうな人」についていくと投稿されたブログに書いてありました。
狭い境内を入ると清盛公が迎えてくれます。
また、境内東南には、
御神水や、
「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いずれか秋にあはで果つべき」と
祇王の歌碑が建っています。
清盛の寵愛を受けていた白拍子の祇王は仏御前の登場で屋敷から出る運命に…。
ふと見ると鳥居近くには、
開運願い文が結ばれていました。
尚、若一神社前の西大路通りは、
1939(昭和14)年、京都市電の延伸の際にクスノキを切れば清盛の祟りがあるとされたために、
クスノキを避けるように市電が敷設されました。
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