小川通そして本法寺へ。

妙顕寺から本法寺に向かう途中に応仁の乱の戦いが行われた史跡が、



公園となっており、石橋の礎石が残っていました。



寺之内通から小川通に入ってすぐに、



「不審庵(表千家)」があり、その北隣に「今日庵(裏千家)」があります。

お茶、生け花とまったく無縁の田舎育ちのばあばにとって、最初に小川通を通った時は気後れした空気を感じました。



そして、前回もそうでしたが私服警察官?護衛官らしき人?の姿もチラホラ。

第16代家元婦人は昭和天皇の弟である三笠宮親王の次女・溶子氏である関係かも?しれません。

今日庵のすぐ向かいには「本法寺」があります。

門前には石橋がかかっていますが水は流れていません。



山門を入ると多宝塔があり、



多宝塔を左に折れると立派な本堂が見えてきました。

本堂前には、左手に筆を持つ長谷川等伯の像があります。



能登国七尾に生まれた等伯は養父母の死をきっかけに京都へ移り住み、七尾の菩提寺の本山であった本法寺を拠点に



活躍します。

本法寺を出て小川通を北へ。振り向くとやはりばあばには縁のない空気を感じました😆

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